B133 薄ら悲しいプレゼント

1989年12月17日(日)

ゆっくり起きて洗濯などをした。午後から溜まっていた手紙の返事を書く。今と違ってパソコンなんて無い時代だったので夜までかかって書いたのだけれど中々大変であった。

 

1989年12月18日(月)

連隊朝礼の後は相変わらず壁のペンキ剥がしだった。部屋によっては作業が進んでベッドなどを廊下に出さなくてはならず何人かは廊下で寝た。午後は隊歌の練習を少しして水泳だった。

 

1989年12月19日(火)

今朝は15キロメートルぐらい走った。ものすごく体の調子がいい。第3小隊と一緒に走ったのだけれど、中尉より速かった。連隊に到着した時に数えたら8番目だった。こんな事は初めてだ。以前だったらビリ争いをしていたのだけれど。少しずつ鍛えられたのだろう。

一日中壁のペンキ剥がし。夜は疲れて早く寝る。

 

1989年12月20日(水)

今朝はなんと野球だった。中隊長が野球用具一式をどこからか持って来た様で中隊長も一緒にいたのだけれど、フランスでは全く馴染みがないスポーツなので誰もプレーの仕方を知らない。僕とビトウさんぐらいで、当の中隊長も知っているのか知らないのかあやふやであった。一応9人の2チームに別れたのだけれど、まず各ポジションの説明から始まったので、試合をするまであと何日かかることやら・・・。

午前と午後はクリスマスに配られるプレゼントの包装をさせられた。それはいいのだが問題はそのプレゼントだった。なぜかというとそれは酒保で売れ残っている緑色のバスローブだったからだ。それをクリスマスにもらっても果たして使うのかという代物で、そんなものよりは普通のタオルの方がよっぽど使い出があるだろうに・・・。

夜は酒保も閉まっていたしバスローブを見てしまって薄ら悲しい気分であったので早く寝た・・・。

 

1989年12月21日(木)

戦闘服での駆け足、41分。壁のペンキ剥がし。

 

1989年12月22日(金)

クリスマスの時期は、外人部隊の司令官の将軍が各連隊をまわる。僕たちの連隊には今日やってくると言う事でPiquet d’honneur(ピケ・ドヌール=儀仗兵)の一人として将軍を迎えた。式典用の制服など色々準備して10分ほどで終わり。午後は給料が出た。

 

1989年12月23日(土)

今日は酒保の雑用。午後は部屋でゴロゴロしていた。昨日は給料も出たし、もう直ぐクリスマスだしという事でみんなケース単位でビールを買い込んでどんちゃん騒ぎをしていた。

 

 

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