1991年10月某日
ド・カルモ先任の授業のやり方の授業であった。挨拶の仕方から始まり、どのような順序で授業を行うかなど専門的なことを教わった。その時は、今まで同僚や先輩である軍曹連中のやり方を見て自己流でどうにかなるだろうと思っていたけれど、実は授業はなかなか綿密に組み立てていかないといけないのだった。それを出来る様になるためのフォーマットがありそれに書き込むのだが、僕はまだ勤続2年8ヶ月しか無いので、フランス語が大変だった。モーリシャス人の事務方のロージーには色々助けてもらった。この時代まだパソコンは一般的ではなく、中隊事務室にあるかというくらいだったので誰も持っていなかった。スライドを投影するのだけれど、それも1枚1枚のスライドを交換しては映し出すというものであった。パワーポイントなど無い。それが普通であった。ホワイト・ボードに手書きで書き込んだものも普通であった。ただそれらは授業のサポートであり、授業の本質は授業をやる軍曹の知識、経験が全てであった。なので武器の諸元などは完璧に覚えなくてはならなかったし、それらの専門のフランス語を覚えるのは大変であった・・・。運動にしても、こういう順番で体を温かくしてから次の種目に移るとか心拍数はどうやって測るとかとにかく毎日勉強であった。軍曹ともなれば、何でも知っていなくてはならないのだった。
また、野外で授業をする時には、教官は太陽に向かって立つ。生徒はホワイト・ボードやスライドがよく見えるように太陽を背にして立つというのも覚えた。これは今でも授業の時に気を付けている事だ。1時間に10分くらい休憩を入れる。それは授業によるけれど、区切り良くリズム良く授業を行うというのも学んだ。アフリカ連合の兵士たちに向けての授業の時、休憩は15〜20分ぐらい休憩を入れて授業をやる。国によって練度が違うしそれによって色々と変えてやっている。この下士官訓練コースで覚えたことは今でも使えることが多い。
それから電気がない事が結構あるので、僕はよくホワイト・ボードを使う。今のアフリカ連合の兵士たちはほぼみんなスマート・フォンを持っているので、会社が用意したノートやペンは使わずにみんな写真を撮るので、大きい字で分かりやすく書く。図も結構使うので簡単だけれど、大きく分かりやすい絵を描く。ある程度授業が進んだところで時間をとりみんなに写真を撮らせる。その方がいいらしいと気がついたのは西アフリカに行った時であった。
アメリカ人はみんなパワーポイントの信者なのでパワーポイント(電気)が無いと授業ができない。ただでさえフランス語ができないのに。僕や同僚のルイジはホワイト・ボードはいつも準備しているので困ることはなかった。それに奴も僕も経験はふんだんに積んでいた。なので会話だけでも授業は出来た。それに生徒たちはフランス軍の教範を使って訓練しいるので、僕にはありがたかった。いまだに下士官訓練コースやフランス軍で覚えたことは頭に入っている。外人部隊をやめてからそれらの知識が役に立つことがあるのだろうか???と思っていた僕には驚きであった。まぁ、そのおかげで今の仕事があるのだけれど・・・。
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