B181 たまには良い事もある

1990年7月5日(木)

今日は3回目の射撃だった。しかし殆ど当たらず、中尉に何度も睨まれた。午後は武器手入れ。

フランス帰国まであと3週間だ。1日の過ぎるのがとても遅く感じ、息が詰まりそうだ・・・。

 

1990年7月6日(金)

火曜日と同じく食堂脇の窪地に、雨が降って水が溜まらない様にするための盛土を盛る作業だった。なので殆ど僕は仕事がなく、タバコを吸ってお茶を濁した・・・。

午後はいつも通りバレーボールだった。明日の僕の勤務はピケ(連隊初動班)だ。全員なにがしらの勤務につかされるので、今夜は外出ということになった。でも、外出先の「amitié(アミチエ=有情とか共感)」というディスコもどきのバーは、行くと毎回胸糞が悪くなるのは分かっているので、今夜は外出しない事にした。

 

1990年7月6日(土)

ピケ。夕方まで武器監視かヘリ監視のガードを交代でやった。昼食前と夕食前にここブアールに第2外人落下傘連隊の連中が半個中隊ずつやって来た。中央アフリカの西のガボンと言う国で何かあるらしく通過のためにやって来たのだ。3日後に中隊の残りがやってくると言う事だった。誰か知った顔(部隊で大した年数も過ごしていないくせに・・・)がいるかと思ったけれど残念ながらいなかった。

ヘリ監視は僕の順番は最後だったのでゆっくり眠る事が出来た。

 

1990年7月7日(日)

ピケを下番して宿舎に戻った。朝食後はすぐ眠った。デゴアス上級伍長がどこからか夕食様にと言うことでデッカい羊の肉の塊を持って来た。今日の夕食当番だった僕は、普通なら17時ごろから支度を始めるのだが、羊の肉を前にしてやたら張り切っているデゴアス上級伍長に14時ごろから僕以外にも何人か手伝いをさせられた。

夕方はバレーボールだった。軍曹が「2人ぐらい残ってあとはバレーだ!」と言ったので、これ幸いと抜け出してバレーをした。

夕食はチャーハンもどき、牛肉と野菜の串焼き、羊の肉、ケーキなどあってものすごい食事であった・・・。

 

1990年7月8日(月)

今朝は「parcours de tir(パルクール・ドゥ・ティア)」だった。4人から5人のグループに分かれて、まず軽機関銃のAA52の分解組み立て、そして懸垂、そのあとは4キロ離れた射撃場までのグループまとまっての駆け足、もちろん戦闘服でだ。射撃場に着いたらFA–MASの分解組み立て、そして最後は200メートル20発の射撃だ。一番キツかったのは射撃場までの駆け足で、小銃、雑嚢しか持っていなかったけれど、下り坂にもかかわらず、着いた時はフラフラだった。

軽機関銃のAA52は、見た事はあったけれど、分解組み立ての仕方はまだ知らなかった。ただ、僕のグループには、中隊の武器庫番をやっているジューヴがいた。彼は武器庫番だけあって武器には精通していた。なので、最初の「AA52の分解組み立て」は見ているだけだった。射撃場についてFA–MASの分解組み立てを普通にこなしいよいよ射撃だ。なんと驚いた事に僕一人だけ20発全弾命中だった。グループのリーダーのプリゴット伍長に「前回の射撃はビリだったから今回トップを取らないと許さねぇぞ!」と冗談とも本気とも取れる事を言われていたけれど、それが本当の事になった!全てのグループが終わって仲間に散々冷やかされたけど、気分は良かった。

昼食前に、今朝の成績発表があった。僕はなんと小隊で2位だった!またまたみんなに冷やかされて嬉しいやら恥ずかしいやらだった。1位は兵卒のトルセンで、彼は懸垂で点数を稼いだらしかった。毎日ウェイト・トレーニングやってるからなぁ・・・。僕は懸垂は戦闘服で11回しか出来なかった。ぶら下がった時いつもより重く感じた。当たり前だ!いつもは運動着で軽いけれど、今日は戦闘服だ。ただ、回数を数えるのに1から数えないで20から19という風に逆算する様にしていたので体の重さが気にならなくなった。数え終わることはないけれど、20を目標にやっていると、自分の進歩が体感できた。最初は確か5回ぐらいしか出来なかった様な気がする。だが、毎日やっていると、だんだん数字が小さくなってくる。そのうち最低10回が普通になって来ていた。戦闘服では11回しか出来なかったけれど、運動着でも大した違いはなかったのでまぁ良いとしよう。その分射撃で点を稼いだのだった。僕らのグループ自体、平均的に皆良い成績だったので良かった良かった・・・。

なぜ「懸垂」が入っていたのか???後になって思う所だが、僕は毎朝駆け足が終わった後、すぐに部屋に戻らず一人残って懸垂をしていた。それをフラダン中尉は見ていたのだ!僕の他に毎日懸垂をやっている奴はいなかった。みんななぜ「懸垂」があるのか不思議がっていた。ちょっとしたアドバンテージであった。

たまには良い事もあると思った日だった・・・。

 

1990年7月10日(火)

今朝はずっと道に土を盛る作業だった。シムカ社製のトラックは後ろの部分がダンプになっているので、それで土を地面に落としながら進む事が出来た。その落としていった土をシャベルでならすのだけれど、ジリジリと照りつける太陽の下での作業だったのでキツかった。

 

14日にバレーボールの大会があると言う発表があった。僕は補欠に選ばれていたので、午後は昼寝もそこそこにバレーの練習をしていた。空をトランザル(C–160、フランス軍の通常の輸送機)が飛んでいた。第2外人落下傘連隊のの中隊の残りがやって来たのだ。

夕食の時、思いがけず新兵訓練の時のルアール伍長に会った。びっくりしたと同時に嬉しかった。彼は以前からジブチに行くと言っていたからだ。僕はまさかここで会うとは思っていなかった。彼もまさか僕に会うとは思っていなかった様で、びっくりしていた。第2外人落下傘連隊に配属になった同期の話とか色々と聞いたり、今までの事を話したりして、非常に疲れた日ではあったが良い日でもあった・・・。

 

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