B068 眠りながら歩く

1989年6月14日(水)

午前中は8キロの駆け足。FA -MASの手入れもした。午後は洗濯や、新しく覚えた隊歌を行進しながら歌う訓練をした。夕食後、日が沈むとMILAN対戦車ミサイルの夜間照準器(暗視装置)のデモンストレーションがあったので、実際に覗いてみた。200メートルほど先にあるトラックがくっきりと見えた。周りは真っ暗だけれど、暗視装置を覗くと白黒ならぬ白赤で草木もはっきりと見えた。初めてだったのでとても興味深かった。

1989年6月15日(木)

午前中は8キロの駆け足。行進練習、正規軍の軍用犬の訓練を見学。駆け足は2つのグループに分かれるのだけれど、遅い連中は中尉のグループ、早い連中はロサ・ファテラ上級軍曹のグループだった。僕は中尉のグループでそこそこのスピードで走り終えてテントに戻って来た。暫くしたらロサ・ファテラ上級軍曹のグループで走って来たソバージュが戻って来て泣きそうな顔で僕を見つめた。「どうした?」と聞くと涙をボロボロ流して泣き始めた。ネイピエに聞くと、ロサ・ファテラ上級軍曹の走るスピードはとんでもなく速くておまけに長距離で大変だったらしい。そんなことは初めてだったのでソバージュはショックを受けて泣いてしまったのだ。その日から分隊のみんなは暇があるとなんでも無いトイレ掃除でも「辛かったんだ!」と言っては泣き真似をしてソバージュをからかった・・・。
午後は砲兵隊の155ミリ自走砲の射撃見学。僕らのテントの近くはでかい建物で洗面所とトイレになっていた。反対側は酒保になっていた。酒保の前には第1外人連隊の連中の宿泊エリアで、なんとノジョン要塞で会った「シンカイ」さんも来ていた。今夜は自由なので、「シンカイ」さんの所へ遊びに行きビールを飲みながら色々と話をした。

1989年6月16日(金)

午前中は射撃であった。最後の方には9ミリのMAC50というフランス軍の制式拳銃も撃つ事が出来た。
今夜もまた中隊での訓練に出かけるという事だ。19時に出発したけれど、とんでもない行軍だった。夜中も歩き詰めでおまけに夕食も取らずに3時間半も歩いてやっと1回目の休憩だった。そこから20キロぐらい歩いたあたりに、中隊長が隠れていてその攻撃の仕方が良ければトラックで帰る事が出来たのだけれど全然ダメだという事で、宿営地まで歩いて帰れという事になった・・・。トラックを横目に見ながら歩き出した・・・。
この帰りの行軍で、生まれて初めて「歩きながら寝る」という事をした。フラフラして次第にある筈の無いものが見え始める。光もないし明かりもない暗闇を歩いている筈なのにそれは街灯だったり、疲れて座って休みたいからなのかベンチだったり・・・。そして眠ってしまう・・・。後ろの奴に名前を呼ばれて「ハッ」として目を覚ます。それで自分が前のやつの後ろを離れてとんでもない方向に向かって歩いているという事に気付くのだった。
それからは一生懸命に目を開けていようと努力するのだけれど、いつの間にか歩きながらまた眠ってしまい再び後ろの奴の声で目が覚めるの繰り返しであった・・・。何しろ真っ直ぐに歩けない。ここの演習地には除隊するまで何回か来たが、演習地内には街灯は無い。それでも街頭で照らされている道を歩いたと言うイメージの記憶しか残っていない・・・。
6月17日(土)朝6時ごろやっと物を口にする事が出来た。しかし疲労と眠気で上手く喉を通らない。なのでコーヒーを沸かしてそれで流し込んだ。少しは良い様だ。やっとの思いで宿営地に着いた。
なんて事だ!今夜また訓練に出かけるというのだ!背嚢は無しという事だったので何だろうか???
アスファルトを40キロ以上歩いたので足がとても痛かった。昼食後は少し昼寝が出来た。
やはりいつも通りに背嚢を積んでトラックで22時過ぎに出発して0時、林の中で停止、寝袋に入る・・・。

1989年6月18日(日)

夜中の3時半起床。トラックであちこちに止まり8時ごろ広い原っぱで14時過ぎまで小隊で警戒につく。何も無かったので眠るための時間みたいだった。その後もあちこちに移動しては止まり夕方になって射撃場に着いた。200メートル先の丘の上にある標的を射撃して終わった。宿営地には21時ごろ到着して、シャワーを浴びて寝た。

読んでくれた人、ありがとう