B197 夜通しの武器手入れ

1990年11月23日(金)

今朝は軍用車両の識別であった。それが終わると8000TAP(フル装備での8キロの駆け足)のテストであった。連日の寝不足や疲労で思ったより走ることが出来なかった。おまけにここのコースは2キロ降って2キロの登り、それの2往復であった。

午後は戦闘訓練であった。本当に極度の疲労と寒さで、全員震えていた。もちろん僕もだ。夕食はたっぷりのパンと暑いスープで腹一杯食べられた。おまけに今日は22時過ぎに点呼がありゆっくり休めそうだった・・・。

 

1990年11月24日(土)

朝はフランス軍の正式機関銃のAA -52機関銃の操作の仕方を学んだ。そのあとは地雷についてだった。僕ら第 6外人工兵連隊の専門だ。既に経験があるので、話を聞いているだけでよかった。昨日、新兵訓練時代の小隊次席下士官だったロサ・ファテラ上級軍曹に会った。いま彼は下士官訓練学校の教官をしている。僕の名前をちゃんと覚えていてくれて握手をしてくれた。「何か困ったことがあったら俺に言えば大丈夫だ!」と言ってくれた。とても嬉しかった!

午後は再び戦闘訓練だった。段々指揮の仕方が細かく複雑になって来て僕は上手くフランス語が使えないので大変であった。

夜は武器手入れであった。しかし使わなかった銃も手入れしなくてはならず、とても時間がかかった。一通り終わって午前2時ごろレイ曹長の点検を受けるのだけれど、「弾倉はどこだ?」「Pelle US(携帯シャベル)はどこだ???」などと言われ、それらを持って来たり色々とやっているうちに時間ばかりが過ぎていき、結局点検が終わったのは明け方の4時過ぎであった。今夜も徹夜であった・・・。

 

1990年11月25日(日)

午前中はオリエンテーリングであった。去年に中隊の演習で思いっきり失敗したので自信がなかった・・・。

どうにか全ての目標物を見つける事が出来た。次はもっとタイムを縮めなければ・・・。

午後は、曹長たちがいるサロンにある暖炉の薪拾いだった。夜は何もなし。

明日は40キロの行軍だ。

 

1990年11月26日(月)

一日中宿舎の掃除。17時ごろ宿舎を出発。昨夜から左足のアキレス腱が酷く痛く、20キロもありかないうちに足を引き摺る様になってしまった・・・。このまま歩いて酷く足を痛めるか随伴のトラックに乗るかすごく迷った。なぜならトラックに乗るということは伍長訓練の脱落への第一歩になってしまうからだった。しかしどうしようもならなくなりトラックに乗る羽目になった・・・。しかしこれが間違いだという事を思い知らされる・・・。

 

1990年11月27日(火)

明け方3時ごろ野営地へ着いた。カルカッソンヌの超えた山にある射撃場だ。僕を入れて6人がトラックに乗ったのだがその連中がガードについた・・・。

一日中FA -MASとAA52の射撃だった。夕方、バスで連隊に戻った。急いで荷物を下ろし夕食もそこそこに武器手入れを23時ごろまでかけてやった。今日が終わらないうちに眠る事が出来るのに感謝した。

 

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