B192 文句を言ってもしょうがない・・・

1990年9月20日(木)

夜10時、一斉にエンジンが掛かり第2中隊の連中が出発した。20分後には全ての車両が正門を通過した。そしてあっという間に静かになった。僕も行きたくて仕方がなかった。ガックリして何もやる気が起きない・・・。

 

1990年9月24日(月)

午前中は中隊に来た新兵たちの世話。午後は射撃だった。

11月中頃あたりに「伍長訓練学校」へ行かされるらしいということを聞いた。「やっとか!」と思って嬉しかったがフランス語が大変だと思い頭が痛い・・・。

 

1990年9月25日(火)

連隊補給庫で我等第3中隊の海外派遣用の衣嚢の用意をした。第3中隊もいよいよか???

 

1990年9月26日(水)

今日、決定的な事件が起きた。中尉から、10月1日から11月1日まで1ヶ月間、管理中隊へ出向いて食堂に雑用をやる様に言われた。寝耳に水とはこの事だ。上等兵にもなって、おまけに11月には伍長訓練学校へ行く事になっているのにだ。とんでもない事になった。僕はきっぱりと断ったが、小隊の連中ほとんどが何かしらの訓練でいないので仕方がないと言う。それを聞いたドレゼ伍長が中尉に文句を言ってくれたけれど埒があかなかった。僕はドレゼ伍長の行動に感激したけれど、それ以上に腹が立って仕方がなかった。中隊長の命令だ!とも言われた。僕は一日中胸糞が悪くて仕方がなかった。今は第2小隊の中国人のメンがその仕事につかされている。そしてその後に僕。もしその次に第3小隊のビトウさんがつかされるのか???とも考えた。東洋人ばかりに偏見を持っているかの様な仕打ちだ。以前はラオス人のラッシュパックが大尉から人種偏見を持っているのでは???と言う様な仕打ちをされているのを見たことがある。ここは外人部隊なのに・・・。人種などのことで嫌な思いをするのはいつもフランス人相手だ。10月の11日にクールティーンというところに演習に行くというけれど、それに連れて行くからそれまでの我慢だ!と言われた。しかしもしそれがキャンセルになって、本当に1ヶ月も食堂での雑用に回されるのであれば、脱走も止む終えまい。せっかく仲のいいマナンツァラと行く伍長訓練学校を目前に控えて楽しみにしていたのだけれど。

 

1990年9月28日(金)

特に何もなし。土・日と、連隊創立記念日の行事をやるための準備をした。夕食後にはキリスト教の歌をやった。中隊で教会を開くためだ。しかし僕は仏教徒?なので全くやる気が起きず。小隊長のルジュン中尉と面接して食堂の雑用について散々文句を並べた。そして夕方に中隊長と話をしたいと申し出た。ルジュン中尉は、僕の事を気の毒がっていたけれど、小隊長という立場で僕と中隊長の間に挟まって辛そうではあった。その後にマティラ上級軍曹が僕のところに来て色々と説得しようと試みた。僕は頭に来ていて怒りでいっぱいだったけれど、言いたい事は全て中尉に言ってしまって何だか気が抜けてしまった。そして中隊長の大尉と面接した。「君を雑用に送り出すのはとても残念だ。」と言われた。脱走する気も起きず、ただただ残念な気持ちになった・・・。