B 219 何処にいて、何処を歩いて何処へ行く???

1991年4月15日(月)

いつも通り。新兵たちを滞りなく教室間を移動させたり食事をさせたりと忙しい。新しい小隊には2人の日本人新兵がいた。コウイチとカワムラだった。コウイチは、英語風に申告したので名前と名字が逆であった。ただ僕が日本人というのはわかっていたけれど、日中はほとんど日本語は話さないので2人は戸惑っている様であった。当たり前だが、外人部隊と言ってもフランスの普通の軍隊の一部である。命令など全てフランス語だ。同国人と言っても僕は容赦しなかった。たまに日本語で質問してきた時だけたま〜に日本語で答えるぐらいだった。2人にもフランス語を早く覚えて欲しかった。じゃないと外人部隊での生活はキツくなるからだ。

コウイチにはその後、中央アフリカでの海外遠征で顔を合わせた時があった。彼は新兵訓練が終わった時、第1外人騎兵連隊へ配属になった。どこをどうやったのかわからないけれど、第2外人落下傘連隊への移動を申し出てそれが許可されたらしかった。珍しい事である。カワムラは、第1外人騎兵連隊から仏領ギアナにある第3外人歩兵連隊に移動になって脱走したという事だ。ブラジル国境で乞食をしているという事だ・・・。僕の同僚以外にも上官、部下などとにかく知り合いすべての人間がそう言っていたのでその話は本当の事か???彼のそのあとの話は知らない・・・。

 

1991年4月24日(水)

Marche Képi Blanc (マルシェ・ケピ・ブラン)に出発した。新兵が外人部隊の象徴であるケピ・ブラン(白のケピ)をその手に掴むために・・・。もちろん数日にわたる長距離行軍である。ケピ・ブランをかぶれる様になって初めて「志願兵何某」から「外人部隊兵何某」と自分の名前、階級、勤続年数などを申告出来る様になるのだ。

 

太陽が出てとても良い天気だった。なので歩いていて気分は良かった。1時間に1回休憩があるけれど、僕はほとんど休んでいる暇はなかった。背嚢を置いたあと新兵達の具合を見て回る。マメを作ったヤツはいないかなどだ。水をカブガブ飲んでいるやつなどに注意する。一息ついて僕はタバコを吸う。吸うか吸わないうちに「Sac à Dos ! (背嚢を背負え!)」と軍曹の号令がかかって再び歩き出す。その繰り返しだ。

 

今は伍長なので、休憩の時に軍曹が地図を見せてくれて自分たちが今どこを歩いているか知ることが出来たけれど、新兵たちは自分がどこにいてどこを目指して歩いているか、あとどれぐらい歩いたら良いのかは知らない・・・。体力的にもきついけれど、精神的にもきついはずであった。それに、僕は何を背嚢につめたら良いか経験で知っているけれど、新兵達は、そんなことは知らないから一切合切を背嚢に詰めるので、必然的に彼らの背嚢は重くなるのであった・・・。そこへきての長距離行軍である。バテない方がおかしい。分隊は、軍曹が先頭で僕伍長が最後尾である。分隊の新兵はこの時は20人ぐらいだったか???10数メートルの長さになる。それが。数回の休憩を挟んで歩いているうちに20メートルを超える長さになってくる。歩くのが遅いヤツは早いやつに抜かれてゆく・・・。遅れたヤツは伍長である僕がさっさと行けとばかりハッパをかけるのであった。

どうにか無事に今日の野営地に到着した。僕は気が張っているせいかそんなに疲れは感じなかった。別の分隊にいる2人の日本人の方を見ると、何とか持ち堪えている様であった・・・。

 

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