B 209 腕立て伏せ

1990年1月26日(土)

午前中は、街の中の基地の洗濯物を扱うところに行き小隊の洗濯物を洗う。と言ってもデカい洗濯機の中へまとめて入れるので何もやる事はない。

まだ正式に伍長の階級章をもらった訳では無いけれど、今ではCaporal(カポラル=伍長)と呼ばれるようになり、新兵を指導するようになった。彼ら新兵を見ていると僕の新兵時代を思い出し「僕も以前はこんなだったんだなぁ・・・」と何だか不思議な笑みが溢れるのであった。しかし新兵訓練伍長には失敗は許されない。常に気を引き締めていなくてはならない・・・。

新兵訓練や伍長訓練で一緒だったティモンのいる小隊はこれから訓練に入るまだ民間人同様の連中なので大変だろう。その小隊に一人日本人が配属になったようで、彼には新兵訓練に着いてのアドバイスをした。彼も僕に会えて少しホッとしたようであった。

 

1990年1月27日(日)

僕は一日中何もなし。

 

1990年1月28日(月)

連隊朝礼の後は、日番伍長の代わりに数名の兵士たちを運転テストのために教習所のある施設まで引率した。なんとそこには、第6外人工兵連隊、第3中隊、第2小隊にいたスピッツ軍曹が「伍長」の階級章をつけているでは無いか!彼も僕と会って気まずそうだったが当たり障りのない会話をしただけで何とかやり過ごした。彼は軍曹時代は何人かの同僚の軍曹達と酒で悪さをしているのは知っていたので、多分その酒癖の悪さが災いして伍長へ降格になったらしかった。

午後、医務室へ行き右足を診てもらった。右足の骨が痛く、明日レントゲンを撮る事になった。

 

1990年1月29日(火)

午後までトゥールーズの軍の病院。小隊は半数以上が勤務のためいない。午後はほとんど何も無し。

 

1990年1月30日(水)

午前中は射撃。午後は、体に異常がある者を除いて小隊は演習に出かけた。僕も小隊に残りそれら怪我人たちを監督をした。やってはいけないことを何度も説明するのだけれど、なかなか理解できない兵士たちがいて、そういう連中に僕は20とか30とか数字を与える。何のことはない。腕立て伏せの回数なのだが、気がつかずにボケっとして僕を見ている奴は、21!22!・・・と数が増えていく。そうでもしないと新兵達はなかなか理解出来ないようだった。そうやって掃除などの点検をしたりして僕の方がくたびれてしまった・・・。

 

読んでくれた人ありがとう