B 215 石の運び屋

1990年2月23日(土)

午前4時ごろに、小高い丘の上辺りに到着。すぐに横になり朝7時起床。教育期間最後の長距離行軍がスタートだ。ただ歩き出した訳ではなかった。いきなり崖をロープ降下するというところから長距離行軍は始まった。僕は2等兵の頃、コマンド訓練コースで色々なロープ降下のやり方を覚えたので、新兵達はハーネスをつけてカラビナを付けてと忙しそうだったが、僕はハーネス無しのやり方を知っていたし、8の字リング無しのやり方も知っていた。背嚢を背負っていてバランスはどうかと思ったけれど、管理している上級軍曹に「8の字リングは使いません!」と申告してオーケーをもらった。8の字リングなしでハーネスに直接取り付けたカラビナに降下用のロープを通す。そして背中を回って右の脇にロープを持ってくる。そしてゆっくり体制を整えながら僕はロープ降下を開始した。伍長なので新兵の前で無様な格好は見せられないのだ。バランスは悪くない!そのままの体勢で徐々にロープを緩める力を増やしていった。崖の壁面に対する半長靴のグリップも良かったし難なく着地した。そして残りの新兵が終わるのを手伝って分隊が揃った事をモンパ軍曹に報告して長距離行軍はスタートした。第2外人歩兵連隊から来ているフランス人のモンパ軍曹はユーモアがあって、同じ小隊でイギリス人のアレン軍曹と仲が良くいつも2人でふざけ合ったりしていた。行軍のスピードは意外にゆっくりであった。そりゃそうだ。今日1日だけではない。

 

1990年2月24、25、26日(日、月、火)

毎朝6時に起きて7時には行軍に出発した。26日の朝、行軍出発前に小隊長の中尉に呼ばれた。「おはよう御座います、中尉殿!」僕は元気よく挨拶した。しかし中尉はあまりいい顔はしていなかった。なぜなら昨日の夜中何時か忘れたけれど、イギリス人のミニョがガードの最中居眠りをしてしまってそれが中尉の耳に入ったのであった。僕の分隊員である。僕が日番伍長ではなかったけれど、中尉は少し怒っていた。罰として僕とミニョは2、3キロの重さはありそうな石を「背嚢に入れて歩け」と命令された。実際に石を背嚢に入れるまで中尉は監督していた・・・。ただでさえ4日間の行軍に必要な着替え、寝袋、パーカ、携帯食料などが入っていて重い背嚢なのだ。それに加えてそんな重さのただの石を付け加えて背嚢はさらに重くなった・・・。モンパ軍曹にはその事は言わなかった。僕は伍長として責任を感じていたからだ。

休憩のため止まった時にその事をモンパ軍曹に話した。その時モンパ軍曹は「石を見せろ!」と言ったので見せたら笑い出して「そんなの捨てろ!捨てろ!」と言ったのですぐさま捨てた。「そんなバカな話があるか!すぐ捨てろ!」という事だった。その時の写真がこちらである。                   

1990年2月27日(水)

連隊まで残りが8キロメートルになった。あいにくの曇り空だけれど、昨日までの長距離行軍の数日間はいい天気だったので、最終日ぐらいいいかと思った。新兵達は連隊に着くとすぐにFA -MASの手入れに入り、僕ら伍長連中は交代でシャワーを浴びてキチンとした服装に整えた。6日間の行軍で100キロ以上歩いたけれど、幸いにも足にマメも出来ず比較的楽な気分で歩く事が出来た。しかしかなり疲れたのは確かだ・・・。

 

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