B123 カトリックのミサで念仏を唱えろと言う事か?

1989年10月26日(木)

外人部隊の司令官の将軍がやって来るというので、モンペリエの空港まで行って来た。飛行機が着陸する前に整列した。着陸して将軍がタラップを降りて目の前を通過しただけで終わってしまった。

夕方と夕食後も連隊創立記念式典の予行演習だった。

 

1989年10月27日(金)

今日は食堂の雑用だった。一緒に雑用だったウランと言うフランス人はサボってばかりいて仕事をしないので、あと一歩でぶん殴るところであった。昼過ぎ、待ちに待った給料だった。でも、給料の順番が僕らの中隊は最後だったので、中隊長から給料を受け取りその足で酒保に行ったけれど売り切ればかりだった。

明日は連隊創立記念日なので雑用が終わって遅くに部屋に戻った僕は制服の準備や明日のP・Iの勤務の準備で休む暇がない・・・。

 

1989年10月28日(土)

朝、非常待機所に武器と背嚢を置いてすぐ中隊に戻った。せっかくの連隊創立記念日なのに雨降りだ。記念日なので昼食に何かいいものが出るのかと期待したけれど特にいつもと変わりがなかった・・・。午後は大したこともなくゴロゴロしていた。

夜に映画館で士官、下士官の家族のために外人部隊に関するフィルムを上映していた。その後その家族たちのために舞台に登って隊歌を披露した。連隊裏のガレージなどある所の特設食堂で夕食をとってP・Iの勤務に就いた。P・Iの勤務の一つ酒保の掃除は、今夜は酒保は家族たちのために0時まで開いているので、掃除を終えて待機所に戻ったのは夜中1時を回っていた・・・。

 

1989年10月29日(日)午前中に体育館の特設の教会でミサが行われた。飾り付けは中尉を先頭に僕等の小隊でやった。僕はカトリックではないのに中尉に指名されてミサに参加する事になっていた。なぜなのか不思議で仕方がない。この当時は僕は小隊で「仏教徒」で通っていたはずなのに。僕にミサで「南無阿弥陀仏」とでも言わせたいのかな???

その後はこの日に持ち越された式典で将軍の前を行進したりして昼食だった。ものすごい豪勢な昼食で幕を閉じた。昼食後は何もなかったので少し昼寝をした。この日はビトウさんがP・Iでいなかったので夜はタケシタくんとビールを飲んで終わった。

 

1989年10月30日(月)

この日から装甲車のクルーの訓練を受ける様に中尉から言われた。午前と午後、連隊のプールでの訓練だった。1,5リットルのペットボトルほどの大きさの空気ボンベを使っての潜水の訓練だった。それに慣れると、水の中で2人に1つのボンベで交代で呼吸をする訓練だった。僕とペアを組んだのは教官の一人である僕の小隊の次席指揮官のモジェイ上級軍曹だった。彼は潜水に慣れているのか僕にボンベを渡す時間を長くしてくれたけれど、2度目の時たまたま鼻に水が入ってしまって泳ぎは得意だったのに水の中でパニックを起こしてしまって水面に顔を出してしまった。その途端に潜る事に恐怖を感じてしまい落ち着くまで時間がかかった。3度目は時間が経って落ち着いたお陰で上手く行ったけれど・・・。

水曜日までプールでの訓練という事だった。これは、装甲車が渡河中に何かの事故で水に沈んでしまった時に慌てずに脱出するための訓練だった。

この訓練に参加するという事で、今週一杯金曜日までP・Iの勤務にされた・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう