今日も非常待機の「P・I」だ。夕方に待機所へ行けばいいので、日中は医務室の引越しに駆り出されてクタクタだった。
夜はいつも通り酒保が閉まってから掃除だった。終わってからルスィック軍曹以下全員でビールを飲んだ。僕は昨日飲み過ぎて調子がイマイチだったのでコークを飲んだ。皆一通り飲んで軍曹以下待機所に戻った。なんと一人がビール1ケース抱えているではないか!非常待機の任務は一体どうなるのだろう・・・。
そういえば今日の昼過ぎに各種地雷などのテストがあった。なかなかの出来ではと思っていたし、とにかくテストを終えてしまえば後は少し楽になるかなぐらいに考えていた。成績についてはあまり気にしていなかった。フランス語での受け答えに躓く事はあるけれど取り扱いなどは頭にちゃんと入った。
待機所でルスィック軍曹がまずビールをとった。それから各自全員がビールを手にしてキャップを捻って開けたところでルスィック軍曹が僕に何かを言いビールを目の高さに上げて乾杯の仕草をした。僕が怪訝な顔をしていると、シャルトンが「お前がテスト一番だったのだよ」と教えてくれた。このテストはCP 04 « Certificat Pratique 04 »といって実技検定の様なもので、工兵の使う爆薬や地雷その他についての最低限覚えなくてはならない事をやるのだった。これは戦闘中隊配属前に必ず受けなければならない実技試験だった。04は兵科ナンバーで工兵を指す。「ビトウさん」は3番だった。ユーゴスラビア人のルスィック軍曹は外国人が1番を取ったと言って喜んでくれた。思わず顔が綻んでしまった。
でもルスィック軍曹、さっきも酒保でかなりのペースでビールを飲んでいた。日中はどこか忙しない感じがするし。そこでハッと思い当たった。ルスィック軍曹はアル中なのだった。シャルトンに何気なく聞くと彼もそう思っていたみたいで、なるほどと思った。しかしちゃんと仕事をしているのなら決して罰は受けない。それが外人部隊なのだった。
1989年7月8日(土)
今日は土曜日なので、12時から月曜日の朝の点呼まで外出が許される。みんな制服にアイロンをかけたり靴を磨いたりして忙しい。僕はとりあえずビトウさんとアヴィニョンを見に行ってこようかな?
昼食後制服に着替えた。シャルトンが一緒に付いて来てくれる事になっていた。そりゃぁそうだ。こっちはフランス語が覚束ないし一般市民の生活圏の事は何も知らない。知っているのは「コインランドリー」ぐらいだ。
バス停で30分ぐらい待っただろうか?バスがやって来て1時間弱でアヴィニョンの駅に着いた。アヴィニョンの中心は城壁に囲まれていて早速3人で中へ入った。素晴らしい街だ。初めてパリを見た時ぐらいに感じた。それ以上か?何しろカステルノダリーでの5ヶ月の間は休暇や外出は無かったから。すぐに近くにあるバーに入り、始めての外出に3人で乾杯した。1杯だけにして大通りを歩きながらホテルを探した。シャルトンは事前に情報を仕入れていた様で、程なく目指していたホテルに着いた。安ホテルだがそんな事は気にならなかった。3人部屋で1泊300フランという事だったのですぐそこに決めた。荷物を置きたっぷり時間があるのでバーをハシゴした。夕方ホテルに戻ると2人とも寝てしまったので、僕一人で夕食のため出掛けた。およその見当で路地に入るとすぐに中華/ベトナム料理のレストランを見つけた。5ヶ月もパンの生活だったのでアジア料理に飢えていた。「ジャスミン」というレストランで、以後何度も通ったので馴染みになったレストランであった。メニューはフランス語だったけれど英語の表記が小さく書いてあったので、あまり迷わずに注文する事が出来た。北京スタイルのスープ、青椒肉絲、広東風ライス(いわゆる炒飯)を頼んだ。飲み物はと聞かれたので、飲んだ事が無かった青島ビールを頼んだ。久しぶりの醤油の味は感動モノであった。お店のおねぇさんも親切で、途中何度も味はどうですかと聞きに来てくれた。広東風ライスは日本と似たコメの炊き方だったしスープも青椒肉絲も美味しくて大満足であった。
ビトウさんとシャルトンは僕が夕食に出た後二人で昼に行ったバーで飲んでいた。街はもの凄い人だった。
3人で同じ様な事を考えていた。今夜は飲もう。明日の朝は誰にも起こされる事はない。点呼もないぞ!
読んでくれた人、ありがとう