B053 1989年5月8日(月)12分間走

今朝は12分間走があった。前回は2600メートルで400メートルトラックを6周とちょっと、イマイチだったから今回は7周以上を目指した。僕は駆け足は得意ではなかったけれど、外人部隊はとにかく走る。持久力が無いといざ戦闘部隊に配置になったら困るのは自分だ。

ブロン伍長も一緒だった。僕は彼の後ろについて走った。ブロン伍長は一定のスピードで走っていたので、伍長に付いていけばいい記録が出るのでは無いかと思ったからだ。案の定一人、二人と抜いて行き5周を終えたところでブロン伍長を抜いてスパートをかけた。おかげで今日は2900メートルだった。3000メートルまでちょっと足りなかったけれど一応の目標はクリア出来た。ロサ・ファテラ上級軍曹が各自の記録を取っている。終わって戻るとブロン伍長に「いい走りだったな!」と言ってもらえた。

1989年5月9日(火)戦闘訓練

今日の夕方レイサックに戦闘訓練に行く。行軍だ。レイサックはまだ志願兵だった頃の寒くて空腹で眠かったという苦しかった思い出の詰まっている所だったのであまり行きたくは無い所だし、訓練の内容がはっきりと分からなかったので不安が襲う。フランス語が理解出来るのであればその様な事はないんだろうけれど。フランス語がまだうまく理解出来ないので、外国人は常に不安が心の半分以上を占める。イギリス人のネイピエも同じ様な事を言っていた。

明日はレイサックまでの行軍があるという事だった。以前と同じ様にきっと早いペースだろう。でも、日曜日から体の調子が良くなって来ているので頑張ってやる。後1ヶ月ぐらいで新兵訓練が終わるのでへこたれてはいられない。

レイサックに着いた途端、以前塹壕(バンカー)を掘った丘に登った。寝袋一つで寝る事になった。屋根の下で寝られると思っていたので驚いた。でも軍隊ではこれが普通で、天気がよけれはテントは要らない。余計な荷物は出さないのだ。

夜中12時から1時半までのガード(不寝番)が回って来た・・・。

1989年5月10日(水)戦闘訓練

              レーションのコーヒーで1日が始まった。朝食後すぐ3つのグループに分かれて敵役、それを攻撃する役、陣地防御の役に分かれて交代で訓練が始まった。

攻撃の最中に「ガス!」の号令がかかり、急いでガスマスクを付けた。30分ほどだったけれど、ガスマスクを付けての攻撃の訓練は登り下りのせいでとても苦しくて動けなくなりそうであった。何人かはズルをして顎の下に指を入れてマスクと顔の間に隙間を作って呼吸していた。ソバージュも例外ではなかった・・・。

14時ごろ全て終えた。今から連隊に向けての行軍だ。20数キロの道のりを歩いて帰る。午前中で疲れてしまって、流石に行軍のペースはゆっくりだった様な気がした。でも足の裏が痛くて、連隊に着いて部屋に戻り半長靴を脱いでみたらやはりマメが出来ていた。中敷の無い半長靴なので板の上に乗っているみたいなのだ。

まずFA -MASの手入れだ。空包を沢山使ったので時間がかかった。夕食はレーションだったけれど、点呼がおわったあとだったので食べ始めたのは消灯時間の夜10時半だった。クタクタだった・・・。

                            読んでくれた人、ありがとう。