1990年4月19日(木)
午前中は石切場への石を取りに行く作業だった。4時近くまでシエスタ(昼寝)の後は手紙を書いたり雑用係の通称「ボーイ」と話をして過ごした。
1990年4月20日(金)
10時半に滑走路へ行きC130輸送機(Transalトランザル)の到着のためのガードに着く任務が来て出発した。
いつもなら駆け足のコースなので上りがキツイのだけれど今日はトラックだ。14時までの予定だったけれど昼前に離陸してくれたので、このクソ暑い中立っていなくても良かった。予定より早く宿舎に戻る事ができたのでその後は何もする事がなかった。なので酒保で見つけて買った「ドミノ」を取り出して何人かと暇つぶしにしては真剣なゲームをした。結構仲間に加わりたそうな奴らがいて驚いた。
なんだかのんびりとした1日だった・・・。
1990年4月21日(土)
今日は基地の副官の交代式だった。朝7時ごろから行進や歌の練習をして式典は10時半ごろに始まった。今日は式典用の制服ではなく式典用戦闘服だったのでこのクソ暑い中立っているのも楽じゃない。でも昼前に終わったのでホット一息ついた。
夜は外出の許可が出たけれど僕は小隊のクラブにドミノを持っていきビールを飲みながら(ビールを賭けて?)数ゲームやって暇を潰した。みんな最初は「ドミノなんかやってられっかよ!」と言うのだが、ドミノを出すとみんな集まって来て始まるとやはり負けたくないのか熱くなってくるので見ている僕は可笑しかった。今夜はタダビールを数本飲む事が出来た。ドミノって馬鹿にしていたくせに・・・。
1990年4月22日(日)
基地の24hのガード。
1990年4月23日(月)
午前中はポーランド人のドゥジャックとジープの整備をした。
午後昼寝が終わる頃急に胃のあたりが苦しくなり医務室へ連れて行かれた。オラック軍曹が付き添いで来てくれた。痛くはないのだけれど苦しい感じで立つ事が難しいほどであった。すぐに点滴を打たれた。夕方ごろにはいくらかよくなったけれどこの分だと数日医務室にいなくてはなりそうだった。
夜に仲間のドゥリアンが様子を見に来てくれた。「明日からまた小隊は橋の工事に出掛けるので大した仕事はないからっゆっくり休めよ!」と言ってくれた。その前にもフラダン中尉が来て同じ様なことを言われた。
点滴している腕が痛く胃のあたりがモヤモヤする・・・。
1990年4月24日(火)
一日中ベッドでゴロゴロしていた。何度も血圧や体温を測ったりした。医務の中佐や少佐が何度も見に来た。
夜になって点滴を外す事になった。しかしこの時のは金属の針ではなくてプラスチックのチューブだったので金属のより太い。動いても金属の針よりはいいのだろうけれど何しろ太くて抜かれる時は何倍にも太く感じた。やっとこの邪魔時なのが取れてホッとした。早く医務室から出たい・・・。
読んでくれた人、ありがとう