B152 不味いビールと苦い薬

1990年3月24日(土)

今日は土曜日なので皆大した仕事はなかった様な気がした。

駆け足の後、ホラック軍曹の指示でポルトガル人のディオゴと2人、ジープの運転訓練をする事になって出発した。小隊長の運転手候補という事らしかった。

ジープはというと、よく第2次大戦物の戦争映画に出てくる米兵が乗っているアレである。ギアは前進3速、後進1速なので中々運転しやすかった。問題だったのはこの中央アフリカのラテライトの道だった。幹線道路?は中々平らで走り易いのだけれど、一歩脇に入るとデコボコ道ばかりなのだ。信号がないだけまだマシか?この時運転したジープは、ブレーキを踏むとペダルがクラッチと連動していて、いっぱいにブレーキを踏んでもクラッチペダルも一緒に踏んだ状態になるのでちょうどオートマチックと同じ感じになり左足でクラッチを踏まなくて良く、エンストを起こさない仕組みになっていた。ほぼ今までトラックしか運転した事が無かったので驚いたのを覚えている。戦場で使う事を考えた車ならではの造りなのだなぁと思った。坂道発進はブレーキペダルに右足を乗せたまま右足の爪先でアクセルを徐々に踏んでいきそれと同時にブレーキを緩めていく。そうする事でクラッチも繋がり走り出す。初心者の僕には中々難しいテクニックだったけれど、そのジープの仕組みのお蔭で何とか出来た。ディオゴと交代で結構な距離を練習した。

午後はやる事がないので、結構な数の花壇の植物に水をやったりして終わった。

夜は小隊のクラブがやっと開いたので久々にビールを飲んだ。ここで出されるビールはお馴染みの「クローネンブルグ」の缶のやつと、ここ現地のビール「モカフ」というビールだった。「モカフ」を最初に飲んだ時の印象は「マズ!」であった。それでも仕方なく飲んでいるとその内に慣れて来て、1本目を飲み終わる頃には慣れて来て、2本目が終わる頃には「中々イケるんじゃね?」に変わり、3本目になると「イケるなぁ!」になっていった。これは他の連中も同じだったらしく、最初の一口は皆「マズ!」という様に顔を顰めるのだけれど、そのあとは普通に飲んでいた。その「顔を顰める」というのは、ここの任務が終わるまで続いた。飲兵衛で有名なウベール軍曹でさえ最初の一杯目ではやっぱり顔を顰めるのだった。それと同時にみんなは「クァ〜!」とか「ブェ〜!」とか声を漏らすのが常だった。

Mocaf

1990年3月25日(日)

休みなので一日中ゴロゴロしていた。夕方少しバレーボールをした。日曜の夕食は各小隊ごとに作る事になっている様だった。どこで手に入れたのかワインやステーキ用の肉などが沢山あって中々楽しい夕食だった。

ここでの任務は4ヶ月だけれど、日曜の数を数えたら大した月日でもないなぁなどとぼんやり思った・・・。

 

マラリア予防のため毎日ニバキンとパルドリンという錠剤を計3錠飲まなくてはならなかった。いつも昼前に日番軍曹の目の前で飲むのが普通だった。どっちが2錠でどっちが1錠かは忘れたけれど、この薬が苦いのなんの!飲み込むのに失敗して歯茎の辺りに引っかかって飲み込めない時は地獄であった。世の中にこんなにも苦い物があるのかと言うぐらいにとにかく激ニガの薬で、悶絶する奴が後を断たなかった・・・。

 

ここは標高千メーター以上あるので、夜は毛布をかけないと寒いぐらいだった。何しろ最初はシーツだけで寝ているのだけれど夜中に寒くて目が覚めるぐらい気温が下がるのだ。いろいろな事がフランス国内と違い戸惑う事が沢山あるけれど、この4ヶ月の経験はその後のアフリカでの仕事の原点だったと言って良いほどいろいろな事を教えられたのだった。

読んでくれた人ありがとう