アヴィニョンの手前のローヌ川にかかっている橋は「Pont d’Europe(ヨーロッパ橋)」と言うのだが、その橋の真ん中に中洲がありそこに訓練場があった。そこまでは装甲車に乗って行った。
フランス軍正式の「VAB」と呼ばれる装甲車だ。Véhicule de l’Avant Blindé (ヴェイキュル・ドゥ・ラヴァン・ブランデ=前線装甲車両)というものだが、色々なバリエーションがあって、僕らの連隊は工兵なので工兵の装備が積めるような仕様になっている。歩兵用は側面に何も無いけれど工兵用はボルトカッターやUSピケットなどゴチャゴチャ付いているし上部には畳むと楔形のアンカーが2つ乗っているので遠くからでも識別できる。
それなりにスピードが出るみたいで、国道では別に普通の車に抜かれる事は無かったので、80〜90キロぐらいは出ていたのではないかと思った。乗り心地は悪く無い。平坦な道路ではという但し書きは付くけれども・・・。ただ、ショックアブゾーバーは、ランボルギーニなどスポーツ車に使われている「Koni」が付いていて、タイヤはもちろん「ミシュラン」を履いている。
昨日準備した移動浮橋を少ない人数ながら組み立てた。4/3という大きさを組み上げた。下のボートの部分が4つ、上に乗る「橋」の部分が3つというものだった。人数が少ないにも関わらず1時間ほどで組み上げた。けれど、通常は6/4という長さらしいのでこれは狭い川幅用という事、また車両を一台しか渡河させる事が出来ないので、通常は6/4を組み立てるという事を中尉が説明した。構造上橋の部分に対して直角の位置に船外機が2つ付いているので、離岸・接岸の操作は難しそうだった。
昼食は久々のレーションだった。でも食べ飽きているので少しガックリした。午後は実際に組み立てた移動浮橋・MLFに乗り込んだ。ドジェイ軍曹が指揮を取る。船外機を操作するのは両方一等兵で以前も操作をした事がある連中だった。離岸・接岸がやはり難しい上にドジェイ軍曹がうるさく怒鳴りまくって船外機の連中はうんざりした顔をしていた・・・。今夜はどこかで野営という事だ。
離岸・接岸の訓練が終わり今度はMLFの解体をして全部品を水際に止まっているトレーラーに積まなければならない。浮いている状態で少しずつ部品を外してすぐトレーラーに積む。積み終わると、この装備は支援中隊のものなので、運転手の支援中隊の連中とともに連隊へ帰って行った。
僕ら小隊はアヴィニョンから1時間ぐらい走って野営地に着いた。野営地の下の方には川が流れていて、海パンになって泳ぎに(体を洗いに?)行った。
21時ごろにレーションの夕食だった。人数が少ないので、今夜のガードは1時から2時半のが回って来た。明日の朝は運動着だそうだ。駆け足か・・・。
1989年7月26日(水)
6時起床、7時15分から駆け足で始まった。そのあとは、これも支援中隊所属の「自動地雷敷設車両」の説明を受けた。説明の後実際にどうやって敷設するのかを見学した。
この車両で敷設される地雷は、側面にひねる部分があり、捻ってから10分後に作動を開始するもので、大きな鉄の塊、例えば戦車や装甲車が近くを通るまたは洗車のキャタピラーの振動で爆発する地雷で、クラシックな「重さで作動する地雷」とは違っていて、中にはエレクトロニクスの基盤や振動感知器、金属、特に大きな鉄の塊を感知する装置が入っている。ベルトのバックル程度の鉄では作動しないようになっている。一度捻って作動させたら30日間は作動し続けるので、元に戻す事は出来ない。敵が通らなくて爆発せずに回収するのは30日以上経ってからである。回収されたら専門の工場で解体作業が行われる。
16時ごろ場所はわからないけれど川沿いに停車した。たくさんの民間人が川で泳いでいる。僕等も急いで着替えて川にとびこんだ・・・。明日は行軍で連隊に戻るという事だ。30キロぐらいあるらしい。新兵訓練の終わりの長距離行軍で行軍に自信がついたので背嚢も軽いし大丈夫だろう・・・。
読んでくれた人、ありがとう