行軍は外人部隊にとってなくてはならない訓練の一つだ。おまけに何日もかけた長距離行軍だ。
その時、先頭に立つのはだいたい分隊長である軍曹が多かった。僕が新兵訓練の時の分隊長はドイツ人のコンプ軍曹であったが、背が高くて足が長く、その一歩一歩が幅が広くて、コンプ軍曹がスピードを上げると、僕はついて行くのは大変であった。けれども、軍曹訓練コースでは僕は他に負けないぐらいのスピードで歩くことが出来たので、軍曹訓練コースでの行軍はそんなに大変だとは思わなかった。新兵訓練担当の軍曹の時など、いくらでも歩けると思えるぐらい調子はよかった。ただ、そのおかげで今、膝の手術する羽目になっているのは確かだ。
先頭を歩く軍曹は地図を持ち、時折現在地を確認しながら歩く。だいたい1時間のうち50分歩いて10分の休憩というのが一般的であった。それでだいたい4キロぐらいの距離であった。止まると「背嚢を置け!」と合図を出し「十分休憩!」と言う。僕も偉くなったものだ!
僕らの使う地図はほとんどが5万分の1の地図であったので、1キロ2センチの線が引いてあった。2万5千分の1の地図もあったけれど、それはCO(クロス・オリエンテーション)の時は楽でいいけれど、行軍向きではないと感じた。それよりも細かい10万分の1の地図は、連隊司令部や上級士官が使うものであった。
5万分の1の地図は2センチで1キロなので、行軍のコースを測る時に、親指の幅がだいたい2センチなので、僕はよく親指を使って地図上での距離を測った。だいたい外れなかった。4キロ1時間で計算すると、大体の到着時刻が出るのであった。たまに道を外れることもあったけれど、地図を持っているのは僕で、おまけに先頭を歩いている。そこは臨機応変に地図と地形を見て通る事が出来るか、または近道になるか判断する。けれど、そのおかげで後ろを歩いている新兵いたちは棘の多い草むらの中だったり、フェンスを越えなければならなかったり崖であったりをよくついてきた物だ。新兵訓練軍曹の時、同僚には第2外人歩兵連隊から来ていたドイツ人のシュミット軍曹、第2外人落下傘連隊から来ていたチムラン軍曹がいた。シュミット軍曹は重迫撃砲小隊出身で、ランド・ナビゲーションに長けていた。その代わり、チムラン軍曹はいつも大口を叩く癖に、ランド・ナビゲーションはダメであった。地図を読むのに問題があるらしい。なぜなら、彼の分隊が一番最初の出発で、野営地点へは一番最初に着いていなければならないのに、到着するのはいつも最後であった。いつも到着すると、彼の分隊にいた伍長は不機嫌そうな顔をして事の顛末を教えてくれた。聞くと、「私有地に入り込んで迷ってしまった」とか「コースでは通るはずがない村に行ってしまった」とか散々無駄な距離を歩かされたらしい・・・。行軍の出発前には「on est là et on va là」(俺らはここにいてここまで行く)と、分隊にいる伍長に説明する。なので伍長でもどこに行くぐらいは知っているのだ。だから、チムラン軍曹の分隊にいた伍長は可哀想であった。新兵たちはもっと可哀想であった。チムラン軍曹は第2外人落下傘連隊から来ているだけあって、体力は半端なかった。でも相手は新兵である。敵うはずは無い。ただでさえキツい行軍なのに、余計な距離を歩かされるのだ。本当の気の毒であった。小隊長のアンドレス曹長や、次席下士官のシェフ・ディユミでさえも彼らを気の毒がった。
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