B128 「お前一人だけ外出してたのか?」と中尉に言われる・・・

1989年11月16日(木)

今日も一日中昨日と同様にヘリを使った訓練だった。新兵のイギリス人のマイルズが自分の役割を全く理解していず分隊みんなイライラしていた。そのくせ言い訳だけは達者であったから余計にみんなイライラするのだ。今まであったイギリス人と違い嫌なやつだった。

 

1989年11月17日(金)

午前中はVABの整備。午後は爆破訓練で使用した場所の整地。16時には終わったのでゆっくり出来た。

夜は2度目の車両のガードで、パーキングに張ってある「56年式テント」で寝起きする。一応ストーブがあって煙突が外に伸びているのだけれどとにかく寒いので厚着をして寝袋用に毛布を支給された。

 

1989年11月18日(土)

今朝はオリエンテーリングだった。今日のは10のポイントを地図とコンパスで回るのだった。僕は生まれて初めてなので不安だったがその不安が的中した。一つ目のポイントに行き着く時に道を間違えて3時間もウロウロした挙句、仕方がないのでスタート地点になんとか戻った。中尉に「お前一人だけ外出してたのか?」と言われ、宿舎ではその日1日みんなに揶揄われた・・・。

 

1989年11月19日(日)

午前中は開けた場所での地雷原を作る訓練だったけれど、ドジェイ軍曹の第1分隊が作業中、僕ら第2分隊は待機だった。VABの中でベッカー伍長のくだらない話を聞いてみんなで声を出して笑ったりしていた。慣れて来たからなのかこのあたりからベッカー伍長はあまり文句を言う事が無くなってきた。そんなふうにしてみんなで笑っている時に

「オイ!日本語で馬鹿はなんと言うんだ?」とベッカー伍長が聞くので冗談で隣にいた同じく兵卒のギユマンの名前を「日本語でバカというのはギユマンだ」といったら分隊全員のツボにハマったらしく一勢にゲラゲラ笑い出した。確かに彼は話し方も少し遅いし変な失敗を結構やらかすので余計に可笑しかったらしかった。それ以来、今の日本で使う様な感じで「ギユマるな!」みたいな言い方が小隊にも広まって演習の期間は何か失敗しそうになったりバカな事をすると「ギユマるな!」とか「ギユマったな!」とかいう感じで言い合う様になった。何かの作業を指示された時なども「pas de Guillemin !」(ノー・ギユマンだぞ!=失敗するな!)とベッカー伍長が言ったりしていて小隊の流行語を発信したので僕は一瞬だけ小隊でヒーローになったのであった。ギユマンにとっては散々なのだがそこが彼の変なところで、「馬鹿を言うなよ〜!」と毎回力なく言うのだけれど少しそれを楽しんでいる風にも見えた。今まで大人しくて影に隠れていた目立たない兵卒だったのだけれど、僕の冗談のせいで、一躍脚光を浴びたのだから。

 

夜は19時過ぎから地雷原を切り開いて通路を作った時に味方が安全に通過出来る様に通路に印をつける訓練だった。通路は最大100メートルの長さで、入り口に左右緑のライト2個、通路は左右1個の白のライト、出口は左右1個の緑のライトで目印をつけるのだが夜間はこれが初めてであった。全て終わって装備を撤収して宿舎に戻ったのは午前1時を回っていた。1時まで外に居たので寒くて凍りそうであった。

 

今回のこのヴァルダオンの師団演習に参加した事がある奴はその後に何年経ってからでも冬の寒い日は事あるごとにこの演習の話を話題にするぐらいとにかく寒い演習だった。ある日など朝10時まで寒過ぎて一台も車両のエンジンがかからず中隊のメカニックのバルディノ軍曹は彼のせいじゃないのに何故かズィグレール曹長に怒鳴られていた事もあった。

 

読んでくれた人、ありがとう