B151 コンドームの支給を待て!

1990年3月22日(木)

朝の涼しいうちに駆け足をした。シャワーを浴びて半ズボンと半袖の海外用作業着に着替え、正規軍の医官からここでの注意事項の説明を聞いた。例えばアルコールは18時まで禁止とか18時以降は半ズボンではなく長い普通のズボンを履く様にだとかだ。昼寝の後は宿舎の整備などをして過ごした。

ここでは現地人の雑用係を雇っていて、部屋の掃除とか洗濯を小隊クラブの売上金から給料を支払っていた。なので、国内にいた時の様な雑用からは解放された。

 

昨晩早速女を買いに行った奴ら3人が見つかり罰を受けた。フランス人のマルタンとポルトガル人のディオゴ、もう一人は思い出せない・・・。罰とは横1メーター、縦2メーター、深さ1メーターの穴を携帯シャベルで掘れというものだった。これはキツい!一日中長袖長ズボンで食事なし。この携帯シャベルは米軍が第2期大戦で使っていたのと同じでPelle US(ぺルゥエス)と呼んでいた。2012年に仕事でマルタンと一緒になった。他の同僚たちにその話を教えたら非常にウケた。それ以来みんなマルタンの事をPelle US(ぺルゥエス)と呼ぶ様になった。

 

彼らは消灯まで穴を掘らされていた。食事はというと、僕らは自分がプレートに取った昼食や夕食の中からパンやチーズを挟んで彼らに持っていってやった。馬鹿な奴らだ。女を買いに行くのにはちゃんとコンドームをつけなければならないと言われたばっかりなのに。彼らはそのコンドームの支給を受ける前に突撃を敢行したのであった・・・。翌朝に早速一人3個コンドームの支給があった。全く日本では考えられない事ばかりで驚いてばかりいた。防虫スプレーも支給された。一応何かの香りがついているのだけれどあまりいい匂いではないので使うには決心が入りそうな物だった・・・。

 

1990年3月23日(金)

今朝はホラック軍曹との駆け足だった。その後は毎日宿舎の周りの整備と隊歌の練習ばかりだった。けれども食堂に行く時はちゃんと隊列を組み隊歌を歌いながら行進する。外人部隊にとっては当然の事なので最初は特に気にしてはいなかったのだけれど、正規軍の兵士が立ち止まって僕らを見ている。そんな時はなんだか誇らしい気持ちになるのであった。最近はバリエーションも増えて昼食の時と夕食の時に違う歌を歌う様になっていた。

 

夜は何もやる事が無いので酒保へ行って何か飲み物を2、3本買ってきて部屋に戻ってさて、何をしようかと考え込むほどだ。来たばかりで小隊には何もなく暇でしょうがなかった・・・。雑誌なども売っていないしソーセージやチップスも売っていなかった。早々に寝るしか無い様だ・・・。

 

 

読んでくれた人、ありがとう