B121 その日本人には俺がバッジをつけるんだ!

1989年10月19日(木)

8時起床。午前中はFA -MASの手入れ。15時に訓練終了の式典がある。コマンド訓練終了のバッジの授与式だ。昼食後、ゆっくりと念入りに式典用の制服に着替え始めた。式典には訓練所の正規軍と西ドイツ軍が戦闘服で並んでいる中、我々外人部隊は式典用の制服だったのでかなり目立った。あちこちで僕等の事を写真を撮っている。

バッジ授与の時、教官たちが僕らの中に入って来て一人一人の胸にコマンドと書かれたバッジをつけている。見知らぬ教官が僕の前に来てバッジを付けようとしたその時「待て待て!その日本人には俺がバッジをつけるんだ!」と少し離れたところから声がした。見ると、市街戦の教官だった。そして彼は僕のところに来ると、満面の笑みを浮かべて胸にバッジをつけてくれて力強く握手をしてくれた。ものすごく嬉しかった。

Stage Commando

教官たちは皆ユーモアがあり、ややもすると悲惨なことになりがちな訓練を実に円滑に進めてくれた。上手く行った時は褒めてくれたし、失敗しても次は上手く行く様に励ましてくれた。確かに訓練はキツかった。1週間のうち4、5回は夜間訓練もあったし、雨の日の格闘の訓練など乾いている部分は半長靴の中だけで、他は全身ずぶ濡れの泥まみれであった。しかし怪我もせず訓練を無事に終える事が出来た。この訓練は決して忘れないだろう。この時の経験は、のちに軍曹になってここに戻って来た時に大いに役に立った。

 

1989年10月20日(金)

5時起床。荷物をトラックに積み隊舎を掃除して9時頃連隊に戻るために出発した。曇っていて雨がぱらついていた。親しくなった正規軍の名も知らぬ彼に手を振って要塞を後にした・・・。

山をどんどん下ってやっと太陽が出て来た。

 

夜はタケシタくんと酒保で乾杯した。彼は僕がコマンド訓練に行っている最中、山岳の訓練コースをやったという事で、記章をもらったと言っていた。ビトウさんも後からやって来て久々に3人揃って乾杯した。

 

1989年10月21日(土)

今日は休みと言う事なので昼近くに起きた。残っている荷物を整理したけれど何だか気が抜けてしまってやる気が起きずなかなか進まない。昼過ぎビトウさんがやって来た。ビールを抱えている。色々と話しているうちに夕食の期間になった。夕食をとってそのあとは日本人3人で管理中隊のバーへ行って飲んだ。

 

1989年10月22日(日)

昼近くに起きる。髭を剃って昼食。そういえば新兵訓練で一緒だったイギリス人のハモンドから手紙が来ていた。彼は4ヶ月の新兵訓練が終わって民間に戻ると言う選択をして相棒だったアイルランド人のサフィールと共にイギリスに戻っていた。今度はイギリス軍の空挺部隊のテストにチャレンジすると言う事が書いてあった。ほんとか???

 

夜はまた3人で管理中隊のバーへ繰り出した・・・。

 

 

読んでくれた人、ありがとう