B139 ギアチェンジは相変わらずコワイ

1990年1月20日(土)

午前中は交通法規のテスト。午後は30分ほど運転だった。昨日よりもだいぶ上手く運転する事が出来たので、リバス上級伍長に少しだけ褒められた。でもこの頃の僕は「もし事故を起こしたら???」とばかり考えていて5速のギアの4速までしか入れられず、スピードもせいぜい45キロが良いとこだった。なぜならギアを変えるのには一度クラッチを踏んでニュートラルにしてもう一度クラッチを踏んでから次のギアへ入れる。ギアを落とすにはもっと大変で、クラッチを踏んでギアをニュートラルに入れて一回アクセルを踏んで空ぶかししてエンジンの回転数を上げてからもう一度クラッチを踏んでギアを入れるという物で、それに気を取られてしまうと停止線を超えてしまうのだった。だから僕はそんなにスピードは出せないのだ。ギアを落とすのに全身から汗が吹き出るのだった。毎回ギアチェンジはヒヤ汗モノで、たった30分ぐらいの運転なのだけれどもうグッタリなのであった・・・。もしもこれで免許を取る事が出来ても運転はしたく無いなぁといつも思っていたしマナンにもそれは言っていた。可笑しなもので、その後の人生での交通違反切符は全てスピード違反なのだがこの時はそんな事は知る由もなかった・・・。

 

1990年1月21日(日)

午前中はまた交通法規のテストだった。毎日繰り返して言われているし写真を何枚も見ているのでだんだん理解してきた。道理に適った規則ではないかと思う様になってきたのだ。午後は休みの日課だったのでゴロゴロしていた。

夜は中隊のクラブの掃除要員。

 

1990年1月22日(月)

連隊朝礼の後は一日中運転だった。今日はまぁまぁの出来だった。ギアチェンジは相変わらずコワイ。

 

1990年1月23日(火)

今朝のテストは余り良く無くてガッカリした。でも、午後の運転は自分でも信じられないぐらい上手く行った。方向転換や車庫入れだ。普通車では無い。僕らの運転しているのは4トンの軍用トラックだ。初めの頃は運転するのは嫌だなぁと思っていたけれど、この頃はだんだ楽しくなってきていた。夕方の車庫入れは完璧に出来た。教官のリバス上級伍長はまさか僕がここまで出来るとは思っていなかったらしく口をぽかんと開けて呆れていたと後でマナンから聞かされた。そりゃそうだろう。ほんの何日か前まで怒鳴られていた奴が目の前で完璧な車庫入れをやってのけたのだから。

今日は良い日だった。

フランス軍では運転手が自分の車両の整備点検を行う。なので各種オイル交換や各種フィルター交換、タイヤ交換なども教え込まれる。アメリカ軍は運転手は運転をするだけで、メンテは車両整備のメカニックがすると言うことを聞いた事がある。完全分業という訳だ。なので自分の車両の調子がおかしいと運転手はただ突っ立ているだけで何もせず、メカニックが来るのを待っていると言う事だ・・・。

 

1990年1月24日(水)

午前中は交通法規のテスト。午後は運転で、方向転換、長距離のバック、車庫入れなどいつも通り覚えたことをやった。何しろ明日はテストだから。夜は部屋でじっとしていた。そうしたら最近やっと小隊に馴染んできたイギリス人のマイルズがビールを持ってやって来た。彼はこの前免許のコースを無事に終えて良い成績だったので、それについて色々と教えてもらいながら奴が持って来たビールを飲んだ。

小隊には僕とマナン、マイルズしか兵卒が残っていない。ギユマンやデグラモンたちは既に1等兵になっていた。車の運転免許も全員が取らないといけないという事を知ったのもこの頃だった。軍隊ならば当然の話だ。なので明日の試験は何がなんでもパスしないといけない・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう