アフリカ中西部某国日記2-4

10月19日、僕の授業があった。僕の専門のIED(簡易爆発装置)についてだ。時間は2時間の予定だったけれど、マルタンに言って1時間余計にもらった。3時間の授業だ。話している間は気が張っているので気にならなかったけれど、終わると酷く膝が痛かった。ボスのジェフに言って治療の為に帰国できるかどうか聞いてみた。ボスは僕の授業の仕方をすごく気に入っていて、「代わりの人間が決まり次第帰国を許可するけれど、膝をちゃんと直すんだぞ!君がいなくなるのは残念だ・・・。」と言ってくれた。

取り敢えず帰国できるけれど、今日10月21日時点で日付はまだはっきりとは決まっていない。一旦フランスに戻ってからだ。その後日本行きの飛行機で3年ぶりの帰国をする。なぜフランスで治療しないかと言うと、期間は離れているが、これまで3回医者に診てもらったけれど、膝の炎症だから炎症止めを出しておくと言うだけで何も進展がないから、日本で診てもらう事にした。手術のことはもちろん考えている。何ヶ月かかろうが今回は普通に歩く事が出来るように治してもらうつもりだ。仕事にも差し支えるし、日常でも階段などはきつい。特に降りる時だ。一度日本でIRMで診てもらった事があるけれど、「膝の皿が半端なくすり減ってますけれど・・・」と言われたことは1度ではない。そりゃそうだ。外人部隊に18年もいたらそうなるよ・・・。重い背嚢を背負って何回ピレネー山脈を歩いて来たと思ってるんだ???「フランス陸軍に勤務していました。」と言ったけれど変な顔をされた。「こいつ、何言ってんだ???」状態であった・・・。なので仕事は当分の間休むつもりだ。その分の貯金はある。どうにかなりだろう・・・。

 

仲の良い同僚のルイジの知り合いのダノ(ダニエル)がアパートを見つけてくれた。場所もいいし一階で専用のパーキング付きだ。なので日本へ帰国前にまず引っ越しの方をどうにかしないと。ただ寝室はと言うと、梯子/

階段付きのロフトになっていて僕には無理なので、小さめのベッドを買わないといけない。ネットで調べたら、120とか140とかの広いのばかりで、僕が必要なのは90センチ幅のベッドだった。下士官宿舎にいたときは90センチ幅のベッドを使っていた。ネットの情報で一番狭いのは100センチだった。それでも良いか・・・。

 

帰りの装甲車の運転手はギアの変え方が超下手くそだった。エンジンの回転数が常にレッドゾーンなのだ。ギアを上げたり下げたりスピードによっていろいろ変えなくてはならないのに、僕とシニアトレーナーのダヴィッドに言われてやっとフィアを変える始末。みんなで「こいつ、装甲車を戦闘ではなく直線道路で破壊するぞ!」と言ったものだった。

 

今朝仕事に行く時に日本の軽トラとすれ違った。日本の軽トラはこんなアフリカ中西部某国の国でも頑張っているのだ。なんだか嬉しくなった。早く日本へ帰国したいものだ。隔離期間があったって良い。年内には帰るつもりだ。

急いでこのブログを書き上げた。多分帰国は週末になるし、そうなると移動日と重なってしまう。と言うわけで取り急ぎ・・・。

 

読んでくれた人ありがとう