B004 フランスへ

成田空港に到着した。その階が出発ロビーという事などわかる筈もなく、中に入り何となく見渡すとロビー両端に階段がある。近い方に向かい恐る恐るそこを登った(現在は喫煙所のある所)。だがそれ以上は上の階へは行くことが出来ない。旅行ガイド本には「4階の出発ロビーへ向かえ」と書いてあったから途方に暮れてしまった・・・。なんか聞くのも恥ずかしい気がしたが通りがかった空港職員の人に聞いたら「ここが出発ロビーですよ!」と言われた。少し安心したがツアーの人はいない。そばのイスに座ってぼんやりしていたら、「〇〇ツアー参加の及川さんですか?」とツアーガイドの女性に声をかけられた。成田からは僕一人だけで、他の人たちは関西の方からだったので僕を探していたらしい。それからどこをどうやて行ったのか全く記憶に無いが何とか待合室に来た。間近で見る旅客機の何という大きさよ!今でこそエアバスのA380を見ても何とも思わないが当時生まれて初めて見る旅客機に度肝を抜かれた。ボーイング747だったか???

              右3列の一番右、窓際だった。今なら絶対に座らないシートだが初めての飛行機の旅なので窓際で「ラッキー!」と思っていた。ドイツのルフトハンザ航空であった。当時の航路はアメリカのアラスカ州アンカレッジ経由でドイツのジュッセルドルフにまず向かい、そこで一回り小さい飛行機に乗り換えてパリに向かうというものだった。アンカレッジ到着の頃は外はすごい吹雪で窓からは何も見えなかった。急旋回していきなり視界が晴れたと思ったらほぼ真下ぐらいに滑走路がくっきり見えたのでかなりの急旋回だったのだろう。アンカレッジでは結構時間があったので、空港内のバーで格好つけて「バドワイザー」を飲んだ。昼酒は酔う・・・。ジュッセルドルフの乗り換えはみんなに付いて行っただけなので覚えていない。そして気がつくとパリ、シャルル・ド・ゴール空港であった。空港からは観光用のリムジンバスでパリ市内のホテルに向かう。途中ストップしてレストランで食事となった。なんか煮込みのようなものを食べたような気がする。まだ時間があるというので同じテーブルになったオッサンとその辺を見て回った。オッサンと言っては失礼なのだが、当時二十歳ソコソコの僕にとってはその30代半ばぐらいであっただろうその人はオッサンに見えたのだ。オッサンは一生懸命写真を撮っている。今思うとそこは「ノートルダム寺院」ではなかったか???定かではない。

              再びバスに乗りホテルに向かう。バスの中ではツアーガイドの女性が「メルシー」ではなく「メルスィー」と言った方がフランス語の発音に近くなると説明してくれた。なるほどなるほど。

    ホテルはパリ市14区にある「Hôtel Pullman Saint Jacques」(ホテル・プルマン・サン・ジャック)という結構立派なホテルであった。日本出発前にツアーの方から「申し込みの一人部屋が用意出来なかったので二人部屋になります」と電話連絡があったので相部屋は誰かなぁと思っていたら僕と同じ歳ぐらいの青年であった。部屋に荷物を置いて彼と話したところ、彼の友人がパリでアパレル関係の仕事をしているらしかった。今夜はその友人と食事をするけれど良かったら来ないか?と言われた。ひとりぼっちなので二つ返事でOKした。彼の友人がホテルまで迎えに来てくれた。3人でタクシーに乗りレストランに向かう。そこは有名なレストレン/ブラッセリー「LIPP」であった。牛丼、海苔弁、ハンバーガーなどにしか馴染みのないジーンズにフライトジャケットの僕はなんだか場違いであった。食事が終わり、二人は夜のパリへ繰り出すらしかったが、慣れないワインをがぶ飲みした僕はホテルに戻ることにした。

    読んでくれた人、ありがとう

追記;B001とかB002とあるのは何だ???とお思いの方。ブログの原稿はまずMS Office Wordに書いています。大体それの1ページ弱(1000字前後ぐらいを目安に)を毎回アップするわけですが、印か何かをつけないといつの事だか何の事だか自分でわからなくなるので、ただ単に「ブログの1回目」だから「B001」、2回目は「B002」という風にしています。