B048 1989年4月22日(土) ロッカー点検とロサ・ファテラ上級軍曹

4月30日は外人部隊最大の記念日である「カメロン」がある。これは、1863年、当時メキシコ遠征の時の激戦の話で、輸送隊本隊を逃すため、3人の士官と62人の外人部隊兵が2000人を超すメキシコ軍に包囲されながらも最後まで降伏せず11時間に渡って戦ったという話だ。生き残ったのはたった3人で、彼らが出て来た時にはメキシコ軍は捧げ銃で迎えたという。この戦いが「外人部隊は最後まで戦う」というモットーになった。

この4月30日は、外人部隊は世界のどこに展開していようが式典を行う。この日のために数週間前から準備をする。特に式典にはフランス軍の将官だけに留まらず、駐留している街の市長なども参列するので、式典の整列だけではなく特に式典直後の連隊によるパレードの練習が一番大事であった。

この日は朝7時過ぎから10時近くまで行進の練習だった。

連隊長の号令一つで各中隊が一斉に気を付けをする様はまるで機械仕掛けの様で壮観だった。

それが終わると小隊で医務室へ行った。破傷風の注射のためであった。この注射は背中にやられ痛みが結構引かないのでみんな嫌っていた。おまけに普通の食事は許されない様で、注射の日の昼食は野菜スープのみであったからそれも不評を買っていた。今回は前より痛くなかったのでもう酷くはならないだろう。

午後はどういうわけかロッカーの整理という事だった。いつも通り整理していると中尉とロサ・ファテラ上級軍曹が各自のロッカーを点検して回っている。折角綺麗に畳んだ戦闘服などを鷲掴みにして床に放り投げている。規定数以上の服や物品がないか見て回っている様だった。何人かは他人のモノを盗んで自分のロッカーに入れていたのを見つかりロサ・ファテラ上級軍曹に殴られていた。それに食料の類も罰則の対象になる。レーションに入っている砂糖やキャラメルなどはゴキブリを呼び寄せるからだ。もし入っていると伍長にも殴られる。僕のクラッカーはどうにか見つからなかったが、中尉とロサ・ファテラ上級軍曹が通った後はまるで台風が通り過ぎた様であったし、何人かのロッカーは手榴弾でも放り込まれたのではないかという惨状であった。

そのあとは暇だったので夕食までの時間部屋の掃除などをして過ごした・・・。

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