B002 自衛隊入隊、そして除隊へ向けて

自衛隊在隊中には外人部隊の日本人脱走兵が書いた本が出版されたり、テレビでも「フランス外人部隊」の特集があったりと、これは「外人部隊」が僕を呼んでいるのではないか???と本気で思ったりもした。

演習など進んで参加した。射撃では中隊選抜にもなった。とにかく経験を積みたかったのだ。ただ金の方は一向に貯まらなかった。頼みの綱は冬のボーナスである。でもその前にパスポートがない!現在のようにネットがあるわけでもないので、よくある旅行関係の本でパスポートの取り方を調べた。東京有楽町にある交通会館へ行きパスポートの申請をする事になる。交通会館の中にある代書屋さんでパスポート申請の書類を作った。「フランス外人部隊」の名を出せばヤバいと相変わらず思っていたので渡航先は「フランス」ではなく当たり障りのない「アメリカ合衆国」にした。受付で書類を出すと「自衛官の方ですね?それでは来週受け取りに来てください!」と言われた。当時は普通だと3週間ぐらいかかるところを一応公務員なので6日ぐらいで発行という事になった。その時周りにいた一般の人々に思いっきり睨まれた・・・。

あとは航空券だ。歌舞伎町でバイトしていた時、「西武新宿線」の始発終点西武新宿の改札を出たところ、歌舞伎町方面出口の近くに旅行代理店があるのは知っていた。12月はじめのボーナスが出たのでそこに向かう。航空券だけにしようと思ったけれど往復だけで26万。ツアーの方が安くていいと言われ、4泊5日ぐらいのを当時14万円で購入。出発は昭和64年1月28日だった。

最後の難関はいかにして自衛隊を辞めるかだった。僕の計画では渡航費が貯まったら辞める気だったので、契約通り2年やるつもりはなかった。まず班長の3等陸曹(軍曹)の所に行き事情を説明。自衛隊に入った理由は、「フランス外人部隊」に志願するためだったと説明した。何日か後に今度は中隊長のところに呼ばれた。「及川、フランス語はできるのか???」とまず言われた。そんなもの出来る訳が無い。外人部隊関係の本で得た知識をありったけ使い「他の外国人も同じです」とか色々理由をつけて除隊ということが決まった。中隊長室を出ると当時では珍しかった中隊副長の1等陸尉(大尉)に呼び止められた。「俺ももう少し若かった時には考えたことがある。及川が行くと決めたんだから頑張れ!」と言われた。その後に、いつもよくしてもらっている1等陸曹(1等軍曹)にも階段脇に呼ばれて「頑張れ!」と応援してもらった。

連隊で中隊対抗のスポーツ大会があり、僕が入っていたバスケットボールのチームが上位に入って連隊長から表彰される事になった。リーダーの陸士長が「及川!お前がいけ!」としつこくいうので仕方なく連隊長の前まで行って気を付けの姿勢をとった。敬礼して表彰状を受け取る時に「こいつが中途除隊する及川か???」と連隊長に睨まれた・・・。

そうこうしているうちにいよいよ除隊の日が来た。班長と、仲良くしてもらっている陸士長に靖国通りに面している正門まで付き添われ、1年と3ヶ月の自衛官生活が終わった。そして民間人になった。奇しくもその日は市ヶ谷駐屯地に配属になった12月7日であった。

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