B007 偵察

「外人部隊」に志願する前にやっておかなければならない大事な事があった。その大事な事とは「偵察」だ。

それはパリ郊外にあるらしい「外人部隊募集事務所」として使われている古い要塞のある場所、そこまでの道筋である。

  要塞の名前は「Fort de Nogent」(フォール・ド・ノジョン=ノジョン要塞)。柘植久慶の「フランス外人部隊」の後半に小さい地図があった。一応路線と路線に対しての募集事務所の位置が載っている、ハードカバーの本の1ページの半分ぐらいの大きさの簡単な地図であった。志願当日わからないまま出掛けるつもりはなかった。「偵察」は日本出発前から決めていた事だった。

              ツアー最終日の2日前ぐらいだったか???まず地下鉄でパリの東側「Nation」(ナシオン)まで行く。そこからはRER= Réseau Expresse Régionale (郊外急行線)のA線で Fontenay Sous-Bois( フォントネイ・スー・ボア)まで行く。そこからが歩きで線路に対して北側と言うのはわかるが距離とか未知の世界である。通行人とか近隣住民に聞くのもどうかと思ったが、一応カバンには日本から持って来た「月刊Gun」と「Légion Étrangère」と書いた紙片を忍ばせてきた。 なので「外人部隊を取材に来た雑誌記者」と言う感じでいこうと思っていた。今思うと全く笑ってしまうのだが、当時は本気であった。しかし近隣住民はもう何十年も前から外人部隊の募集事務所があるのを知っているわけで、そんなところを若い男がウロウロしていたら「また一人志願者が来たよ・・・。」と一発でわかるのであるが。  

ナシオンでの乗り換えを1度間違えただけで「フォントネイ・スー・ボア」の駅に着いた。出口がいくつかあったけれど見当を付けてそれだと思う方向に向かった。

   駅を出て信号一つ渡るとそこは静かな住宅街であった。 最初の路地で早速住民のおばさんに会った。おもむろに「Gun」と「紙片」を出したらそっちを指差し坂を登った方だと言う。道を覚えなければならないのでなるべく角を曲がらない様にして特徴的な家があったらそれらを頭に叩き込んだ。10分ぐらい歩いたろうか???坂の上まで辿り着き、バス停があったのでそこのベンチに座り休憩も兼ねてタバコに火をつけて辺りを何気なく見廻した。

    と、その時であった!

すぐ側に「Légion Étrangère」と書いてあるでかい看板が目に留まった。急いでその看板に近ずく。その看板の周りを見渡すと、おおよそ住宅地には似つかわしくない盛り土が遠くに見えた。恐る恐るそちらの方へ歩みを進める。

    上の部分がアーチ状になったデッカい木製の扉のある門の上に

          「Légion Étrangère」(外人部隊)。

    遂に「Fort de Nogent」(ノジョン要塞)を発見したのだ。1989年1月末の寒い日の事だった。

読んでくれた人、ありがとう。

今思う事

    30年以上前の事だけれど、意外に鮮明に記憶が残っている。もちろん書いているうちに思い出す事が多いのも事実だ。

    次回より日記からの引用を始めたいと思う。1989年2月に「フランス外人部隊」に入隊して最初の何ヶ月かの日記は心ない奴に捨てられてしまった。なのでその当時の事は、1990年に4ヶ月中央アフリカへ最初の海外任務で行った時に夜、暇に任せて新しく書き出したものになる。まだ記憶に新しかったし1989年のカレンダーも持っていた。

    また、軍隊はルーティーンワークが多い事もあって、日記を付ける程の事がない日が多くありその間は何も書く事がない。もし書いてあってもほんの2、3段という日もある。そんな時は飛ばすか何日分かを一度にまとめてアップする事になると思うのでどうかご容赦ください。

    投稿のペースとしては週2回か3回ぐらいでやっていこうと思っています。何しろ当時の小さいメモ帳に他人から隠れて書いていた。移動中の車両上で書いた事もある。また字が下手くそでなかなか判読出来ない部分もある。それらを解読しながらと同時に間違いなどを直しながらの加筆なので毎日のアップは出来ないとの結論に達した所為もある。

    最近の「フランス外人部隊」については後輩の日本人が詳しく書いているので興味のある方はそちらも読んでみて下さい。