B174 監視塔の上でガタガタ震える

1990年6月7日(木)

今朝はいつもどおり仕事を始めようとしたら「弾薬庫のガードにつけ!」といきなり言われた。・・・基地のガードよりは気分的に楽なのは確かだ。なぜなら僕らの他には弾薬を取りに来る係の兵士しかいない。敷地内には誰もいないし見通しがいいからだ。入り口は角にあって僕らの詰所があった。他の3箇所の角には監視塔があって僕らはそこに登って監視する。たまに軍曹か伍長が以上は無いかと見回りに来る。日中は監視塔の上は風があり涼しくて気持ちが良かった。しかし夕方にひどく雨が降っていきなり気温が下がった。16時には太陽が雲に隠れて寒くなった。夜は星がほとんど見えなくて雲があり、またいつ雨が降ってもおかしくなかった。

戦闘服の上に雨衣をきたけれどそれでも寒かった。監視塔の風通しの良さが災いして、交代が来るまでの2時間ガタガタ震えていた。明け方は時間の変更があって、僕は3時40分から4時50分までの1時間10分監視塔に行くだけでよかった。ポンチョを持って行って監視塔に登って体に巻き付けたけれど相変わらず寒くてどうしようもなかった・・・。

 

1990年6月8日(金)

6時に交代なのだが正規軍の連中だったので時間通りには来ない。必ず遅れてくるのだった。第8海兵落下傘歩兵連隊が来る予定だったけれど中々やって来ない。軍曹が連絡して聞いてみると、今朝彼らは降下訓練があるらしく遅れてくるという事だった。いつになるかわからないけれど11時までには行くだろうという事だった。僕らがガードにつく時はいつも時間に余裕を持って早めに行くのだが、ここにきている正規軍の連中は時間通り交代に来た事がなかった。いつも遅れて来るのだった。10分や15分の遅れは当たり前といった感じで、外人部隊の僕らからすると信じられなかった。ズィグレール曹長が時間に厳しいのを僕らはしっかり仕込まれているからなぁ・・・。

やっと10時過ぎになってやって来た。引き継ぎを済ませ急いで宿舎に戻った。シャワーを浴びて髭を剃ったりしていたら、なんだかんだで昼食の時間になってしまっていた。小隊の他の連中は石切場の爆破作業へ行っていた。弾薬庫からの帰り道に「ドーン!」と聞こえたのはその音だったのか・・・。僕もその作業をやってみたかったなぁ・・・。

 

夕方の集合の時、来週またどこかへ作業をしに出発することを中尉から言われた。その時に誰が出発要員かが発表されたど同時に留守番要員の発表もあった。僕は留守番要員であった。夜はなぜか外出だった。トラックに乗っていつもの「売春宿」へ向かうのか???明日は今度は基地のガードだからかな???

 

1990年6月9日(土)

基地のガード。3直だったので楽だった。

1990年6月10日(日)

いつも通りの日曜日。

 

この時の弾薬庫のガードの話はお互い軍曹になっていた97年当時にジューブとのよく話にでた。僕も彼もとにかく「寒かったなぁ!」という印象しかなかった。彼はここへは2度目だったのだが1度目より寒かったという事だ。僕は初めてのアフリカだったのだけれど、それまで持っていた「アフリカは暑い!」という印象を見事に覆されたのだった。この時の経験でアフリカで寒い思いをした事は無い。中東でもだ。どこへ行くにもフリースの上着を持っていくのを忘れなかった。

 

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