1990年5月29日(火)
午前中はこの間持っていった料理道具の掃除と片付けだった。午後はプールへ行って水泳。夜は中国人のメンに頼んでビールを買ってきてもらったけれどすぐに酔ってしまって寝る。
1990年5月30日(水)
今日は非常待機班になってしまった。と言っても何もなければ小隊で普段通りの作業で、寝る時だけは司令部の建物の並びにある待機所で寝る事になっている。午前中に少しだけ倉庫の整理をしただけで何も無かった。昼食が終わってからみんなで小隊のクラブに籠もってビデオを見ていた。4時の集合の時間になったけれど映画はまだ続いていた。中尉も一緒にみんなと映画を見ていたのだが映画が途中だったせいで「4時の集合は無しだ!」と言ってそれっきり何も無かった。
夜になった。背嚢と武器を持って待機所へ移動した。Tシャツの上に秋から春に着用する薄手のセーターを着て戦闘服の袖を下ろしたのだけれど、とても寒かった。まるでフランス本国の秋並みの寒さに感じた。無線晩は一人1時間が2回というものだったので楽であった。
1990年5月31日(木)
朝起きて待機班の勤務はおしまいなので、武器庫へ武器を返納して小隊宿舎に戻った。顔を洗って髭を剃り軽い作業服に着替えた。今朝はベルグ軍曹直々の指名を受けて新しくする窓枠のペンキ塗りをする事になった。厄介だったのはペンキがあちこちに跳ねるので気を付けないと手や服が汚れる事だった。ただ以前にもやった事があったのであまり汚さずにすんだ。外人部隊では何でも自分たちでやるので、戦闘だけではなく手に職を持っている奴は重宝された。僕は何も知らないしできないので見よう見まねで覚えた事が沢山あったけれどここアフリカに来てまだまだ足りない事が多かった・・・。
1990年6月1日(金)
ついに6月に入った!フランスに帰るまであと1月半だ。
今朝はハイペースの駆け足で8キロから10キロぐらい走った。その後にオラック軍曹と筋力トレーニングだった。オラック軍曹はミケランジェロみたいな体で高さ5メートルのロープを腕だけで4回も5回も登ったりするぐらいの筋肉マンであった。腕立て伏せ、腹筋、ロープ登り、懸垂などをやった。終わった後は身体中の筋肉が張ってパンパンになってフラフラであった。
シャワーを浴びて作業着に着替えて昨日と同じくペンキ塗りだった。午後はバレーボールをした。支援中隊から来ているクロフォード伍長はペンキ塗りをしている僕に「ここはこういう風にここまで塗ってくれよ!」と親切に声をかけてくれるのでプリゴ伍長とは正反対でやりやすかった。いつか伍長になる時があったらこういう風になろうと思った。しかし自分がいざ伍長になった時、そんなことはキレイさっぱり忘れてしまっていた。今考えるとプリゴ伍長より酷かったかもしれない・・・。
最近朝の運動が終わって解散になると僕は密かにガレージ脇へ行って懸垂をやるようになっていた。回数は大したことはなかったけれど、続けていれば少しは体力がつくだろうという考えだった。この時はまだ知らないけれどこの答えは後で出る事になった。
読んでくれた人、ありがとう
最初からお読みいただく場合は、ホームページの「検索」のところに「B001」と入れていただくと一番最初が表示されます。以下、「Bxxx」という風に番号を入れていただけると任意のページが表示されます。
例、「B037」、「B056」など。