B167 体を洗うなら川へ行け!

1990年5月18日(金)

6時起床。何かの手違いかわからないけれどまだ出発しない。中尉のジープとトラック一台が基地へ戻ることになった。具合の悪いフランス人のプロボを医務室へ運んでいくということだった。それと同時に足りない資材を取ってくる事になって2台ともやっと出発した。

それら2台が戻って来て僕ら全てが出発したのが15時ごろで、もちろん目的地に着く筈もなく、そのうちに道に迷った様で、20じを過ぎていた。仕方なく昔工場だったらしいところの外れの屋根だけが残っている所に停車した。急いで必要な荷物を下ろし野営の準備をした。近くに水道があったのでそこでシャワーを浴びた。すでに22時を回っていた。満点の星空で、北斗七星を見つけるのが大変なぐらいであった。夕食を22時30分にとって急いで寝た。

 

1990年5月19日(土)

遅くに起きて昼食後に出発した。1時間ほど走ってやっと目的地らしい村に着いた。学校を兼ねている集会所の様な所に鍋などの調理器具や肉などが入っているデカいアイスボックスごと下ろしたりした。僕らは、ここにいる2人のフランス人か管理している数件の家に分かれて寝る事になった。小隊はここで1週間いろいろな作業をするらしい。

夕方運動着に着替えて、水のボトルを切って水がすくえる様にしたのと石鹸とバスタオルを持って2キロ程の所を流れている川まで行って体を洗った。誰が見つけたか知らないが好都合な川であった。

 

1990年5月20日(日)

日曜日だけれど遊びに来たわけではないので朝から普通に集合して作業開始だった。僕は村の診療所の中の診察室のペンキ塗りだった。まずすべての壁を洗剤を使って隅々まで洗う。気温が高いので洗ったそばから乾いてゆく。

その後は油性のペンキをローラーと刷毛で無ってゆくのだ。ディュキノア上級伍長はローラーを使って広範囲をやっていた。「オイカワ、お前はローラーじゃ塗れない角や隅を塗れ!」と言われたのでそうした。一日中有機溶剤の中にいて目が痛かったけれど、なんとか塗り終えて綺麗になった壁を見てなんだか気分が良かった。

ここでの食事当番は、デゴアス上級伍長と、兵卒で中国人のメンがやる事になっていた。デゴアス上級伍長の奥さんはベトナムの人らしく、慣れた味なのか中華製醤油を使った料理を作ってくれる。メンも中国人なのでその手の料理はお手の物らしかった。この2人の作る食事は毎食美味しくて、外人部隊に入隊してからこんないい食事はなかった。フランス国内や、ここ中央アフリカのブアールの基地での食事と雲泥の差であった。新兵時代のアヴィニョンの中華のレストランを思い出した。

 

今夜のガードは一番最初なのでゆっくり眠る事が出来そうだ。

 

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