B165 マフィア

1990年5月9日(水)

今日は非常待機であったので午前中はほとんど大した仕事がなかった。午後は何もなし。

夜はナガオさんと酒保で隠れてビールを飲んだ。

 

1990年5月10日(木)

朝はいつも通りバレーボール。中尉も、僕らが熱心にバレーボールをやっているのを知っているのでいつもより駆け足の回数が減ってきている。円になってやるのでは無くしっかりフォーメーションをとってやるので毎回試合の最中は失敗するとブーイングを浴びる事が多いけれどそれと同じぐらい笑いが起きる。特に口うるさいユベール軍曹は失敗すると毒づくのでそれがおかしくてみんなで笑った。

シャワーを浴びて作業服に着替えて石切場へ向かい、大きな岩へ爆薬用に穴を開ける作業をした。鑿岩機へ長さ1メートル以上の削岩?用のバーを取り付けての作業は大変だった。何人かで交代でやるのだけれど埃、騒音、振動で終わるとクタクタだった。

午後は水泳をした。ただこのところ雨ばかりで肌寒いのであまり水の中にはいなかった。夜は伍長達と寝るまでドミノをして過ごした。

 

1990年5月11日(金)

15キロほどの駆け足。そのあとは昨日同様に石切場での作業。急ぎの仕事ではないのでゆっくりしていた。

午後は、明日のガードの準備をした。ガードが明けると日曜日なので平日に比べたら少しは楽か・・・。

 

1990年5月12日(土)

基地入口の24時間のガード。

 

1990年5月13日(日)

ガード明けが日曜日というのはなんといい事だろう!武器を返納して宿舎に戻りシャワーを浴びて午前中は寝ていた。午後はまた伍長達とドミノをして過ごした。

夜は第2外人歩兵連隊に招待されての夕食会だった。彼らの宿舎まで行った。まず外人部隊の「POT」(酒を飲む集まりや食事)の前に必ず歌う「le boudin」(ル・ブダン)という歌を歌ってみな飲み物に手を伸ばす。僕は腹ペコだったのですかさずナガオさんを見つけて食べ物のテーブルへ向かった。皆たっぷりのビールやワインでご機嫌だ。そのうちに歌が始まった。会食時にいつも行われる。食事の最中に何曲も隊歌を歌う。招待されている中に正規軍の連中も何人かいたけれどただ見ているしかなかった。

そのうちタニグチくんも来て日本人3人で集まっていろいろ話をして楽しかった。「mafia Japonais !」(マフィア・ジャポネ!=日本人の徒党)と誰からも言われた。これは、同国人で複数人集まると日本人に限らず言われる。ただし外国人に限って使われる。フランス人には使わない。なぜなら外人部隊にはフランス人はいないという建前だからだ。ポーランド人が集まっているときには「Mafia Polonais !」(マフィア・ポロネ!)というふうに言われる。3人以上同国人が集まると大体「Mafia !」言われる。外人部隊特有の言い回しだ。中隊でも日本人は珍しかったので、僕とビトウさんたった2人だったけれど何度も言われた事があった。階級が上がってからは僕もよく使ったし、下士官クラブでも後輩の日本人軍曹と言葉を交わすと上官に「oh, Mafia Jap !」とよく冗談で言われた。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

 

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