B161  軍医は外人部隊兵には薬の処方箋ではなく飲む酒の量だけ指示しておけば良いと言う事なのか???

1990年4月25日(水)

今朝はちゃんと朝食を食べる事が出来た。しかし食べ終わって少ししたら胃のあたりがおかしくなって来た。すぐに治ったから大丈夫だったけれど嫌な予感がした。案の定、昼食後2時間ぐらいしたら以前の様に胃が苦しくなって再び点滴を受けた。医務の中佐と軍曹が何やら話をしていた。今夜トランザル(輸送機)が来るのでそれに乗ってバンギ(中央アフリカ共和国の首都)へ行って検査をした方が良いだろうと言われた。23時過ぎに来るはずだった輸送機は来なくて翌日に持ち越しになった。あと5日で「カメロン記念日」(外人部隊最大の記念日)なのに、まったくついていない・・・。外人部隊兵として記念日に参加出来ないなんて情けない・・・。

 

1990年4月26日(木)

今朝はずっと調子がいい。午前中は部屋の中で腕立て伏せや腹筋などの筋力運動を少しした。バンギに出発は15時過ぎと言う事だった。滑走路へ向かい1時間ほど待った。輸送機がやって来て着陸した。荷物を下ろして再び積み込むのが終わるのを待っていた。16時半ごろ乗り込み離陸した。バンギへ到着してすぐに医務室へ入れられた。なかなか綺麗な医務室だったけれど軍のキャンプなので可愛い看護婦さんはいなかった。と思ったら、正規軍の女性の上級伍長がいて色々と医務室について説明してくれた。

しばらくして第2外人歩兵連隊のタニグチくんが来た。彼はここの医務室で勤務していた。このキャンプには第2外人歩兵連隊の偵察支援中隊が4ヶ月の任務で来ていた。他にナガオさんも来ている。久しぶりの日本語の会話ができて嬉しかった。

食事はここの医務室の方が良かった。ただここバンギは僕がいたブアールより標高が低いのでエアコンがあったけれど夜は暑くて寝苦しかった・・・。

 

1990年4月27日(金)

朝起きてすぐタニグチくんが来た。今までのことなどを話した。そのあと軍医が来て色々と聞かれた。軍医の話だと辛いものを食べ過ぎたのだろうと言うことだった。この時は心当たりはなかったのだけれど後で原因が判明する。

それからこの軍医は、「ビールは3本まで。」とか、「タバコは関係ないから吸ってもいい。」とかおかしな事を言う軍医だなぁと思った。昔読んだサイモン・マレーも本の中にも、当時アルジェリア戦争の医務室の様子が書かれていて、「ワインは何杯まで」とか言われたらしいと言うのを思い出した。

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おいおい!医務室だぞここは!

外人部隊兵には薬の処方箋ではなく飲む酒の量だけ指示しておけば良いと言う事なのか???

除隊までこの手の事は聞いた記憶がない。毎回この時の話をすると同僚には信じてもらえない・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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