B154 非常待機解除

1990年3月31日(土)

昨日同様に非常待機なので殆どやる事がなかった。朝6時半から8時半と18時30分から20時30分の車輌のガードについただけだった。しかし夕方にホラック軍曹が「明日朝7期の輸送機でチャドに向かうかも知れない。」と言っていた。「いよいよか!」と思ったけれど演習ではないので変な気分がした。確かにVLRA(偵察支援軽車両)に積んである装備品は実弾や実物の地雷や爆薬であったし何個もの段ボールに入った戦闘携帯食糧なのだ。

ここBouar(ブアル)の基地には第1外人騎兵連隊の1個中隊がいるのだが既にチャドへ出発して展開していた。しかし他は何も変わりなくのんびりしている。夜の小隊のクラブでは何人かがビールを飲みながらポルノビデオを見ているし、かといえばもうベッドに横になっている奴もいた。明日の予定はまだ出ていない・・・。

 

1990年4月1日(日)

朝はバレーボールだったが僕は車輌のガードだったので参加出来なかった。でも涼しい時間のガードだったので楽ではあった。非常待機とはいえ何もやる事がないのでゴロゴロしていた。16時ごろ飛行機の音が聞こえて来た。それも1機どころじゃない。外へ出てみるとC160が飛んで行った。もしかしたら明日あたり出発か?と思ったけれどアテにはならない。何しろこれだけの日数を待機しているのだからもうチャドへは行く事は出来ないのだろうなぁと言う気持ちも半分あった。

今夜のガードは夜中の2時半から4時半と最悪の時間帯だった・・・。

 

1990年4月2日(月)

月曜日の朝は中隊の朝礼がある。僕らの中隊は一種の管理中隊なので正規軍の連中も混じっている。外人部隊は僕ら工兵小隊だけだった。

その朝礼の時に僕らの非常待機が解除と言われた。とてもガッカリして緊張が一気に解けてしまった。小隊の区域に戻ってバレーボールをしたけれど何だか気合いの入らないバレーボールだった・・・。

シャワーを浴びて作業用の服に着替えると装備品の返納だった。武器弾薬、携帯食糧など一切合財だ。一日中かかってどうにか終わった。

 

夜は久々に酒保に行ってビールを飲んだ。バザーで何か買おうと思ったのだけれど、スイス人のドゥリアンに誘われたので小隊のクラブに戻るのも面倒だと言う事で酒保で飲む事になったのだ。ドゥリアンは特に今まで仲が良かった訳では無いけれどいつも親切でおとなしい奴だった。ビールを飲みながら話してみると中々面白い奴でちょっとした発見だった。彼もチャドに行く事が出来なくなって残念がっていた。ただ、こうやって話していると僕の残念だった気持ちも少し紛れた様だった・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

 

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