番外編 西アフリカ某国の日記 15 最終回

2020年3月19日(木)

ジェフが一生懸命各自の帰国便を確認していた。いつもより厳しい顔をしている。まだ出発は先の事なのだが・・・。僕の帰りの飛行機は4月3日のモロッコ航空カサブランカ経由パリ行きだった。夜中の3時にカサブランカに着いて8時過ぎまで乗り換え便を待たなくてはならない。以前スーツケースの遅配があった航空会社で、同僚たちの中でもこのモロッコ航空カサブランカ経由は有名だった。数人同じ目に遭っている。仕事の帰りなので別にパリでスーツケースが出てこなくても気にする事は無いなと思っていた。バックパックだけで帰る方がTGVに乗る時に楽だからだ。スーツケースは4、5日遅れて届けられるし、仕事用の衣類しか入っていないので、フランスに戻ってすぐ必要なものは殆ど無いので困ると言う事は無かった。

 

ついにここ西アフリカ某国にもコロナウイルスの感染者が出て30人を超えた。周りの国の状況はわからない。首都の中央駅が憲兵隊に閉鎖されたと言う情報が「WhatsApp」に入って来た。モスクも集会禁止になったと言う事だ。

 

僕はオランダ軍の上級軍曹のダニーといつも通り授業をした。今週は地雷から砲弾といろいろな各種弾薬の基礎を教えた。昨日から気温が上がって湿度も高くなり授業している僕はいつもより汗をかいて何度も拭った。生徒も暑いだろうが僕だって暑いのだ。時たま「誰だ?天国に行っている奴は?」と寝ている生徒に声をかける。教室中どっと笑いが起きて和む様子は何度見ても可笑しい。時に瞼を閉じそうになっているやつを見つけては「天国には行くなよ!」と声をかけてやる。また目を閉じてしまったばかりのやつには、「お前、2秒ほど天国に行っていたな?」と声をかけると「行ってました!」と言う正直な奴が出始めてまた改めて笑いが起きた。

 

ホテルに戻ると、ロビーでジェフがチーフ・トレーナーのファイと何やらやっていた。「カワ、お前は残るか?」と聞かれたので、別に現在は別の契約が待っているわけでも無いし「残りますよ!」と答えた。その時荷物を自分の部屋に置いて来たフィリップがビールを飲もうと下に降りてやって来た。フィリップも「俺も残っても良いよ」と返事したので二人して笑った。なぜそんなことを聞くのかこの時はわからなかったけれど、危機が近づいていたのだ。まずモロッコのカサブランカ空港が発着禁止になり空港が閉鎖された。別の航空会社に変更になるなと言うだけでそんなに気にしてはいなかったけれど、危機はそこまでやって来ていたのをその時は気づかなかった・・・。

 

アメリカ政府がすべての外国にいる国民に帰国命令を出したと言うのを知った。ジェフから僕の飛行機の変更のメッセージが来たのはすでに22時を過ぎていた。なんと明日の出発になっていた。ジェフは全員確実にこの国を出られるように飛行機の手配をアメリカの本部とやりとりしていたのだ。その間にもアフリカ各国の空港閉鎖が相次いだ。

 

2020年3月20日(金)

いつも通り朝食を摂り車で訓練場へ向かった。現状を生徒に説明して10時には訓練場の端の事務所に集合という事だった。

教室前でダニーとタバコを吸っていると噂を聞いたのだろう。いつもより早く生徒が集まって来た。

全員席に着いたところで最後に生徒達へいつも言うメッセージを伝えた。

 

「1年間と言う長い期間をテロリストのいる国へ出かけると言うのはとても長い。その間作戦やガードについたり色々ある。僕が望むのは君たちが腕一本、足一本欠けることなく無事にここ自分たちの国へ戻る事だ。IEDによる君たちの怪我や死亡の話は聞きたく無いから覚えたことを仲間と共有して十分に気をつけるように。君たちは国にとって大事な人間であるとともに家族にとって非常に大事な人間だ。だから長い期間の任務は大変だろうけれどきっちり任務を果たしてくるように。

それと、一番大切なことを言おうか。それは任務を終えてここに戻って来た時が任務の終わりでは無い。武器を返納して装備品を返却して、まだ終了では無い。大事な事が残っているだろう?一枚の紙切れだ。だがその紙切れは一番大事だ。何の紙切れだ???「休暇証明書」だろ!それを受け取って家に帰ってその時点で任務は終了だ。それまでは任務を果たし怪我をしない。慣れてくると緊張が緩みがちだけれど、相手はテロリストだ。絶対に戻るまで緊張を緩めないように。「休暇証明書」を受け取るまで緊張を解くなよ!」と言って最後の講義を終えた。皆納得してくれた様で頷いていた・・・。

90594533_1132534123755079_936743276474531840_n
司令部の連中と記念写真

 

11時ごろホテルに戻った。普段は昼飯抜きで14時までの訓練なので朝飯はガッツで食う。でも今日が出発日でスーツケースを詰めなければならない。フロント脇のバーへ行ってエナジードリンクを頼む。フィリップがやって来て一緒になった。12時を過ぎたのでフィリップの奢りでサンドウィッチを頼んだ。飛行機に乗るまで食事は出来ないつもりでいた。急いで食べ終えると部屋に戻った。仕事用のスーツケースはいつも詰める内容は一緒なので1時間もかからず詰め終えた。最後のシャワーを浴びて洗面用具をしまった。帰りの洋服に着替えた。バックパックに最後の荷物を仕舞い込んだら14時を過ぎていた。ホテルを出るのは16時なのでまだ余裕があったけれど、すべての荷物を持ってフロントに降りた。それまでバーで時間を潰すつもりだ。部屋は禁煙なのでホテルの入り口脇の灰皿のあるところでタバコを吸っていると同僚の元第2外人歩兵連隊で中のいい同僚のダヴィッドが通りかかった。彼はタイに戻ると言う事で30数時間のフライトだけれど、アフリカ各国の空港の閉鎖が始まっているのでどうなるかと言っていた。

 

16時のホテルを出て空港に向かった。また面倒臭い手続きが待っている。2018年の時はとにかく面倒だったとしか記憶がない。手荷物検査などは何を目的に検査しているのかがわかっていない連中の検査なのでバックパック全てを出された。

今回はチェックインから手荷物検査まで大した面倒が無くて逆にビックリした。

 

待合室の2階にラウンジがあるのは知っていたのでフィリップと向かう。こう言う国からの出発便の前は酒は飲まないようにしている。何が起こるか分からないからだ。フィリップはそんな事関係なしに昼から3杯目のビールを飲んでいた。19時30分発なので18時過ぎたあたりで1階に降りて登場のアナウンスを待った。なかなかアナウンスがない。そのうち乗客の間でザワめきが広がった。飛行機に遅れが出ていると言う事だった。「何時もの事さ」と余裕でいると、なんと4時間も遅れると言うではないか!これには流石に待ち慣れている僕でも耳を疑った。なんでも機体交換でその交換する機体を探していると言う事だった。マジか???慌てても仕方がないので、幸い今月だけ使い放題のインターネットモデムを持っていたのでパソコンを取り出して僕の乗る飛行機をエール・フランスのサイトで検索した。確かに遅れているけれど何故かは書いていなかった。まぁ、いずれはくるだろうと言う事で、待合室の硬いシートでうとうとした。

何度も目が覚めてはWhatsAppに入ってくる情報や、ジェフからの連絡を読んでいた。何人かは乗り換えの空港閉鎖の煽りを受けてフライト変更を余儀なくされている様だった。ここの空港はまだ閉鎖されていないけれど、急に飛び込んできたメッセージに目が覚めた。明日の0時にここの空港の閉鎖になると言う情報だった。1日ずれていたら出発出来なくなる所だった・・・。

数時間うとうとしながら待ってやっと飛行機が来た。3台目のバスに乗り飛行機へ向かう。機体には見慣れたいつもの「エール・フランス」の文字はなかった。そんな事はどうでもいい。とにかく早く座席に座りたかった。すでに別のところから乗って来た乗客で半分以上埋まっていたけれど、無事にバックパックを仕舞い座席に着いてやっと一息つく事が出来た。離陸すると飲み物と食事が出た。コーラとペリエを頼んだ。食べ終えて後は寝るだけだ。冷房が効き過ぎていたので毛布をかけて寝た。映画なんぞはどうでも良いので前のシートについている画面は消して寝た。

 

2020年3月21日(土)

7時30分過ぎ、無事にパリに到着。スーツケースは意外に早く出てきた。タクシー乗り場の手前に喫煙所があるのは知っていたからまず1本点ける。そんなことをしていたらタクシーに向かって大勢やってきたので急いで火を消してタクシーに向かう。行き先はパリのリヨン駅だ。普段ならシャルル・ド・ゴール空港の下の駅からTGVが出ているのでそれでアヴィニョンへ戻るのだけれど、空港発のTGVは全てキャンセルになっていてどうしようも無かったので仕方なくパリのリヨン駅発のを見つけた。10時39分発ので、それを逃すと12時台、その後は不明となっていた。フランス国内は移動制限で、移動証明を持っていないと136ユーロの罰金が科せられるのは知っていた。なので昨日ジェフに必要書類にサインをもらっていた。タクシーの料金は何時ごろか一律空港からパリ市内は50ユーロと決められてボッタクリが無くなって良いと思っていたけれど53ユーロに値上がりしていた。

パリのリヨン駅に到着。正面の入り口前でタクシーを降りる。灰皿のある入り口前でタバコを一本。共和国警備隊が3人ほどいて駅舎の出入りを監視している。そばでタバコを吸っていた男性と2言3言挨拶など言葉を交わす。タバコを吸い終わり、パスポートと書類を出そうとすると、「書類は持っていますか?」と聞かれ「持っている」と言うとすんなり駅舎へ入る事が出来た。なぁんだ・・・。

表示版には列車の出発時間が出ているけれど、何番ホームというのは出発20分前にならないと表示が出ないので、まだ9時前だけれどスペースを見つけて座った。

しばらくすると今度は警察の集団がやって来た。一人一人書類を調べている。警官が僕のところへきた。身分証と移動証明書の提示を求められた。僕はパスポートとジェフのサイン入りの書類を出した。警官はそれらを見てどこから帰って来たのかと仕事の内容を見たのだろうか、ニヤッと笑ってパスポートと書類を返してくれた。

 

10時20分、ホームの番号が出た。今回はTGVの2階の一人用シートだ。一番端で落ち着く場所だ。電車に乗り込みスーツケースとバックパックを置いて一階に降りて外へ出る。僕と考える事が同じ連中がいてホームでタバコを吸っている。僕もそうした。

電車が発車した。フランス人の女性があからさまに僕の顔を見てマスクに手をやりながら通り過ぎていった。僕は中国人でもなければコロナに感染しているわけでも無い。感染しているのはお前の方でだからマスクをしているんだろ!と思ったけれどそんな事以上に疲れていたのでアヴィニョンに到着する10分前に携帯のアラームをセットして眠った。

 

アヴィニョンに着くと大家さんの車が来た。外出するのには必要な事以外はダメなので最初しぶっていたけれど結局迎えに来てくれた。頼りになる大家さんなのだ。

帰りの道中近況を教えてもらう。フランスでもコロナの話題で持ちきりだ。道路は外出規制でガラガラだったので意外と早くアパートについた。急いで裏に置いてある自分の車を出した。冷蔵庫は空だ。生活必需品を買いに行くという所に印を入れてサインした書類をポケットに入れてスーパーまで車を走らせた。

スーパーに着くと予想通り品物が大して残っていなくて、でも最低限数日は大丈夫なくらいは買う事ができた。それと一番大事な物「ウイスキー」を手に入れる事が出来たのは大きい。パン類は全く無くなって売り切れ。おかみさんが袋入りのクロワッサンなどを買っておいてくれたので何日かは大丈夫だ。

 

昨日の夜の飛行機での食事以降何も食べていないので流石に腹が空いた。幸いスーパーで手に入れたキャベツと鶏肉のハムで野菜炒めを作り、しばらくぶりのハイボールで流し込んだ。

僕の任務は終わった・・・。

 

追記;ダヴィッドは52時間かかって3カ国を回ってやっとドーハまでたどり着いてあと乗り継ぎ一回でやっと目的地に着いたそうで、その間隔離されそうになったり飛行機変更などで結局家についたのは60時間以上経ってからだったそうだ・・・。

2 comments / Add your comment below

  1. 長い間お疲れ様です。コロナの影響で疲れた体に鞭打たれたようですが無事にお帰りになられたようでなによりです。
    正直番外編とても面白かった(不謹慎でしたらすみません)のでこれが最終回になると思うと悲しいです。民間でのリアルな仕事についてなんてネットにさえほとんど載っていませんから。

    1. 1日ズレていたら帰って来られなかったですねぇ・・・。
      次回またアフリカなりに行く事があったらまた書いてみようと思っています。
      その時もよろしくお願いします。

コメントを残す