B140 裏取り引き的な免許合格

1990年1月25日(木)

7時前にテストのために集合した。先ずは交通法規やトラックについてのペーパーテストだった。別に蚤の心臓という訳ではないのだけれどドキドキしていた。結果が出るまでは何とも言えない気分だった。

その後は運転の実技のテストだ。試験官は第1中隊の若い中尉だった。緊張してぎこちなかったけれど何とか終わった。———夕方結果が出た。合格だった。しかしあまりいい成績ではなかったのでまだまだ練習をしなくてはならない。合格者は明日は路上運転だ。酷い事にならなければいいけれど・・・。

 

1990年1月26日(金)

7時集合。3台のトラックの内1台に訓練生、残りの2台を交代で運転すると言う事だった。僕の番は昼食後にやって来た。発車して5分ぐらいでもう大失敗をしてしまった。信号が見えたので5速から4速そして3速にギアを落としていく時にクラッチ操作に気を取られて停車する時に停止線を少しだけ超えてしまったのだ。手に汗びっしょりで早く交代にならないかとばかり思っていた。一時など時速85キロになった時があって怖くなってどうなる事かと思った。

 

1990年1月27日(土)

昨日の夕方から外出許可が出ていたけれど、給料日前なのでほとんどの奴が部屋でゴロゴロしていた。昨日から喉の調子がイマイチで頭痛もする。管理中隊のバーで映画を見て急いで部屋へ戻って寝た。

 

1990年1月28日(日)

調子がイマイチで喉は相変わらず痛い。

 

1990年1月29日(月)

連隊朝礼の後は自分たちが運転の訓練に使用したトラック数台の整備点検だった。整備の前にはまず洗車しなければならないのだけれど、順番待ちで洗車以外に大した事は出来なかった。

 

1990年1月30日(火)

各種オイルのレベル点検やグリースをくれる。

 

1990年1月31日(水)

今日もトラックの整備。午後は教室で整備に関する復習をした。待望の給料。中隊クラブや酒保はすごい混み様だった。夕食が不味かったのでマナンと2人で管理中隊のクラブでスナックを食べていると小隊の連中もやってきて飲みまくった。家からの手紙がポケットに入っていた。それには、新築した家の写真が入っていて、みんなに見せたらなかなか好評だった。だけど居間で家族や親戚が畳に座っているのを見て「なんで椅子がないんだ?」と何人かに質問されて説明するのが大変だった。

 

かなり経ってから聞かされた1月25日木曜日の試験の時の話。僕の試験官の第1中隊の若い中尉は、僕の小隊長のルジュン中尉の後輩だった。ルジュン中尉はこの日は第1中隊の兵士の運転の試験官だった。全員の試験が終わって採点の会議の時、ルジュン中尉は当然僕の成績が気になったらしく後輩の第1中隊の若い中尉に「どうだった?」と聞いたらしい。第1中隊の若い中尉は「あの日本人か?あの運転じゃ免許はやれないなぁ!」と言ったらしかった。そこで、ルジュン中尉は「オイカワを落とすなら俺が採点した第1中隊の兵士も落とす!」と脅したらしい。というわけで僕は無事合格となったのであったが、そういう裏取り引きの様な合格事情があるので日常生活や演習で運転手に指名された事は無い・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

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