B134 切り刻まれたバスローブ

1989年12月24日(日)

P・Iの予備要員だったので、朝の集合に顔を出して終わりだった。午後からは急に忙しくなって来た。明日は衛兵勤務の予備要員で制服にアイロンをかけたりした。それから小隊のバーの飾り付けをした。小隊の人間は飲み物は無料だった。部隊に入って初めてのクリスマスだ。日本のクリスマスは知っているけれどカトリックでは無いので個人的にいまいち盛り上がらない・・・。夜、酒保の中のいつも給料を受け取る大きな一室が中隊での会食の場所になっていた。そこに士官、下士官、兵士が制服で集まり21時ごろ中隊長からクリスマスのプレゼントを受け取った。僕は中身を知っていたので大して嬉しくもなかったのが正直な所だ。他の数人も「こんな物貰ってどうすんだよ!」と文句を言っていた。そして夕食だ。けれども前菜、メイン、デザートなどいちいち食堂まで取りに行かなければならず、前菜の伊勢海老は半分も食べられなかった。毎回その都度取りに行く要員だったので全く味わっている暇はなかった。

食事中は各小隊が出しものをやってみんなのヤジや喝采を受ける。僕らの小隊は中々のウケだった。マナンがデュードネ軍曹の真似をしてカツラを被りでかい大麻に見立てたタバコを吸っているのを見てデュードネ軍曹は不機嫌そうな顔をしていた。

食事の終わりにシャンパーニュが出たけれどすでに夜中の1時を回っていて味もクソもなかった。明日勤務のものはもう寝ても良いと言われたので急いで部屋に戻りベッドに入った。衛兵勤務と同じ時間の5時に起きないとならないから。部屋全員が衛兵勤務で5時起きなので入り口の扉には鍵をかけて寝た。夜中3時ごろ僕の名前を呼びながら部屋のドアをドンドンと叩く奴がいる。仕方がないので起きて扉を開けると第2中隊の千鳥足のタケシタくんだった。何か喋っているのだけれど酔っ払っていて呂律が回っていなくて何を言っているのか最初は分からなかった。よく聞くと今夜1等兵になったと言う事が分かった。取り敢えずおめでとうと言い、衛兵勤務があると説明したらそのままニコニコして去って行った・・・。

 

1989年12月25日(月)

5時起床。頭の中がぼ〜っとしている。予備要員なので7時過ぎぐらいに部屋に戻る事が出来た。その日は一日中寝ていたのだけれど、17時ぐらいに週番伍長に呼び出された。勤務についているベイカーが調子が悪いと言う事なのでお前が急いで行けと言う事だった。もう夕方なので制服ではなく戦闘服で良いと言われた。なんて事だ!今夜はゆっくり寝られると思っていたのに。それに飲み過ぎて調子が悪い奴の為の交代なので腹が立っていた。ベイカーの奴め!おまけに明日はP・Iの勤務だった。久々の夜中の弾薬庫警備はとても寒かった・・・。

 

1989年12月26日(火)

衛兵勤務が終わって中隊に戻ってP・Iの準備をしていると最近第3外人歩兵連隊から小隊に来た1等兵のベレに「お前は昨日ベイカーの代わりをしたから今日のP・Iの勤務はキャンセルだ!」と言われた。彼は年季が入った1等兵で、1等兵なのに日番伍長を任されていた。中々気合が入ったやつで、何かと口うるさかったけれど冗談もよく言うし面白い奴だった。勤務につかなくてもよくなったけれど、作業はクリスマス前から続いている部屋のペンキ剥がしだった。今度は別の部屋の奴らが廊下で寝る羽目になっている。部屋の壁は新しくペンキを塗るのではなく絨毯みたいなのを貼るのでそれ用の接着剤なども運ばれて来たりした。

この辺りから朝の集合前に行う中隊隊舎の周りのゴミ拾いの時、拾い終わってでかいゴミのコンテナーに捨てに行くとクリスマスプレゼントのバスローブが早速捨ててある事が多くなった。やはりこのプレゼントは不評であった。それでも最近作業が終わって夕食後はこのバスローブ姿が廊下に溢れる様になった。だがそれも2、3日の事で、そのうちにみなくなり普段通りの運動着姿だけに戻った。なのでしばらくはゴミ箱でバスローブを見る日が続いた。僕はそのバスローブをどうしたかは覚えていない。切り刻んで武器掃除に使ったかもしれない・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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