B131 胡散臭いやつ嫌疑

1989年12月7日(木)

午前中はいよいよ対空射撃だ。双発の飛行機が吹き流しをつけて飛んでいる。その吹き流しだけれど、他の射手が撃つ曳航弾の行方を見ないと小さすぎて見えなかった。とても難しかった記憶がある。どう言うわけかルジュン中尉とブタレブ上級伍長も連隊から様子を見に来ていて、ブタレブ上級伍長が僕のそばで吹き流しの位置を教えてくれるのだけれど発見の仕方が悪いのか僕の撃った曳航弾は吹き流しのかなり後ろの方を飛んでいくのであった・・・。

昼食後ツーロンを出発。18時ごろ連隊に到着。昨日から右耳が痛くなり今日は聞こえなくなって来た。耳掃除のやり方が悪かったのか?日番伍長に行って明日医務室に行こう。

 

1989年12月8日(金)

昨日より耳が痛い。今朝は駆け足とロープ登りだったけれど駆け足は免除された。医務室へ行く前に医務室に診察に行くと言う事を申告しに小隊事務室の中尉の所へ顔を出した。モジェール上級軍曹が管理小隊の潜水チームへ移動になっったのでその代わりに新しく配属になったマティラ上級軍曹と中尉とが「大袈裟なやつだ!」と胡散臭そうに僕を見つめた。

医務室へ行くと軍医が「ここじゃなく民間の医療施設じゃ無いとダメだな!」と言うことになって医務室の車で、連隊からそんなに遠く無い街の病院へ行った。午後に連隊に戻り中尉に報告しに行くと、マティラ上級軍曹と中尉とが気まずそうな顔をした。それもそうだ。3日ほど医務室へ入室と言う診断を軍医に下されたのだから。そのせいで、モンペリエでのガードの任務には行かなくてもいい事になった。それはよかった。医務室に日用品や洗面用具を持って入室すると、僕の他にはコマンド訓練で足を怪我したウェンダーしかいなくて静かだったけれどとても退屈な所だった。朝と晩に耳の中へ薬を塗る以外やる事が無かった・・・。

 

1989年12月9日(土)

連隊は昨日金曜日の夕方から外出許可が出ていたので静かだった。そのせいで酒保も閉まっているので何も出来ない。別にビールを飲むなと言われている訳では無いけれど、退屈だ・・・。

 

1989年12月10日(日)

とにかく退屈で、テレビを見ても別に面白く無いしなんとなく1日が過ぎてしまって勿体無い。志願した時の「ノジョン要塞」を思い出した・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

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