B126 実際にヘリを使っての訓練

1989年11月8日(水)

午前中は、爆薬を使って道路沿いの木を倒して障害を作る訓練をした。必要最低限のものだけ持って素早く爆薬を仕掛けるのだ。午後は同じく最低限の装備を持って十字路へ地雷を仕掛けて地雷を使った障害を作る訓練だった。

夜やっとここへ着いてから初めてシャワーを浴びることが出来た。大きな建物に8人か10人かが同時にシャワーを浴びられる様になっているのが幾つかあって、演習場に来ている部隊のためのシャワー室だったけれどさっぱり出来た。

 

1989年11月9日(木)

午前中は実際にヘリを使っての訓練だった。僕は一番重い方向性対戦車地雷を背負子に縛り付けられた奴を持たされた。ヘリが着地してからブタレブ上級伍長の指示した場所まで走り急いで仕掛ける。地雷を仕掛けている最中はヘリはその場にはいられないのでどこか安全な空で待機している。作業が終わりそうになるとブタレブ上級伍長が無線でヘリを呼ぶのだ。一度などは傾いている牧草地のそばで地雷を仕掛けたのだが、そこへヘリがやって来た。ヘリの前方からパイロットに見える様に近づいて両側の扉の所からヘリに乗るのだけれど、傾斜がきつい牧草地にもかかわらず、ヘリのパイロットは自分のヘリの方輪だけ地面につけた状態で水平を保っている。登りの牧草地を走ってヘリに向かう。僕は後方にいて僕の後ろがベッカー伍長だった。僕は空であったが走りづらい背負子を背負っていておまけに車輪が浮いている高い方からの乗機だったのだけれど、なんとあの口うるさいベッカー伍長が背負子の部分を掴んで持ち上げてくれたので簡単にヘリに乗る事が出来たのだ。ビックリしていた僕はベッカー伍長の顔を見たけれど彼は涼しい顔であった。当然と言われたら当然の事であったけれど・・・。

PUMA

ヘリは低高度で地形に沿って飛ぶのではあるが、その時に可笑しかったのは、あまりのヘリの急激な上下飛行で、一緒にヘリに乗っていたあのいつもすましている中尉が「ウッ、ウッ」と吐きそうになるのを堪えている所だった。僕の側に座っていた連中はみんなその様子がよく見えたので、それを見てニヤニヤしていた・・・。自衛隊時代もヘリでの訓練はやっていたので僕は楽しくて仕方なかったのだけれど、誰にも苦手な乗り物はある。

 

1989年11月10日(金)

今日は待ちに待った重機関銃の射撃だった。VABの旋回銃座からの射撃だ。各自50発と少ないけれど流石に12,7ミリの機関銃弾50発のリンクはズッシリと重かった。標的は400メーター先だった。ものすごい発射音だ。その音に一瞬遅れて空薬莢とリンクの落ちる音が聞こえた。それに3発か4発目から硝煙が立ち込めて標的が見にくくなる。手に伝わる振動はこれが重機関銃か!というものだった。

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夜間射撃では7,62ミリの機関銃も撃たせてもらう事が出来た。銃身の先に付いている「消炎機」のおかげで銃口から出る炎が非常に少なくてビックリした。余談だけれど「消炎機」は夜戦の時など敵に自分が撃っている場所を悟られない様にするためだけと思っている人が多いかもしれないけれど、それだけではない。射手が射炎で目が眩んで標的が見えなくなるのを防ぐのも重要な役割という事なのを知らない人が多い。確かに実際に撃ってみると目に入ってくる射炎はかなり抑えられている事が分かるのだ。自衛隊でいう「硝煙制退器」というやつである。字が合っているかな?

平時はこの「100歳の重機関銃」は100発ごとに銃身を交換しなければならない。熱で銃身が膨張して命中率が落ちるからだ。それに銃身内が摩耗するのを防ぐためだ。最近の銃の銃身の中は大体がクロームメッキされている。クロームという素材は「鉄」より硬いので、クロームメッキされていない「鉄」だけの銃身より摩耗が少ない。銃身寿命を伸ばす工夫である。弾が銃身内を通り時にはものすごいスピードで通過する。銃身内にすごい摩擦力がかかる。口径が大きくなるほど負担も大きいので銃身の寿命は短い。「戦艦大和」の銃身(砲身)寿命は40数秒というのを子供の頃読んだ。砲弾1発撃つと薬室から砲口まで砲弾が何秒で通過するのか知らないけれど何にしろ寿命は短いというのは覚えていた。通過に例えば0,1秒かかるとするなら400数発で砲身が使い物にならなくなり終わりという事になる。

 

射手を替わって誰かの射撃かわからないけれど、真っ暗な夜の射撃場での機関銃の射炎はなかなか幻想的に映った・・・。

読んでくれた人、ありがとう

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