B095 人生初の営倉

1989年8月18日(金)

基地内でいくつかの場所に分かれてのテストが行われた。その数カ所に分かれた場所で、地雷、移動浮橋、支援中隊の車両について、工兵の装備品、ランドナビゲーションなど今まで習った事のテストを移動しながら受けるのだ。

基地にいるにも関わらず昼食用にレーションを配られた。昼食の休憩なしでノンストップで順番にテストをする場所を移動する。8時に生徒全員が数カ所に分かれて一斉にテストが始まった。16時ごろまでかかった。勉強不足で答えられない質問もあったけれど、ほとんどは実技だったのでなんとか終わる事が出来た。すぐに採点されたようだった。中隊長が夕方正式に僕らの前で成績を発表した。成績はビリを覚悟していた。ところが僕の下に6人もいた。全員フランス人だった。言葉がわかるのに・・・。中隊長がいなくなると、スピッツ軍曹が「下から6人は今夜のPIだ!」と言ったので、僕は勤務から外された。これはフラダン中尉の命令だった。勤続たった6カ月のフランス語もロクに出来ない新兵より成績が悪くてどうするんだ!という事であった。

 

成績発表の後、自分の小隊の事務室へ行き、小隊長のルジュン中尉に「CTE04」が終了したことを報告した。ルジュン中尉は「よくやった!」とひたすら褒めてくれた。休暇から戻って来ていた小隊次席下士官のモジェール上級軍曹もニコニコしていた。中尉には、「この調子でフランス語をもっと勉強すればいくらでも技術は身につくぞ!」と言われた。報告を終わり事務室を出て中隊廊下でフラダン中尉に呼び止められた。肩を叩かれ、「よくやった!」と言われた。この「CTE04」の教育の生徒の中で一番フランス語が出来なかったのが僕だったからだ。このフラダン中尉の一言でやっと終わったんだ!という実感が湧いて来た。なんだか嬉しいようで、でも終わってしまって残念な複雑な気持ちになったのも本当だ。

 

1989年8月19日(土)

 

今日は休みだ。昼近くに起きて昼食後も昼寝をした。「CTE04」の最中は日曜もあってないようなもので、正に旧海軍の軍歌「月月火水木金金」の様だったからだ。

 

夜は久々にビトウさんと酒保に行った。「CTE04」の最中は中々ビトウさんとも話が出来なかったから久しぶりの乾杯だった。9時に酒保が閉まって中隊に戻ろうとしたら、出口の外に酔っ払った管理中隊のイギリス人が立っていて、僕等に「カミカゼ」だの「バンザイ」などと言って絡んできたので、「お前、意味をわかって言っているのか?」と言い返したけれど止めなかったから何度か「だまれ!」と言い返したけれど奴は酷く酔っていて再び何か言って来たので、堪忍袋の緒が切れて殴りかかった。ビトウさんと僕、奴と2対1で揉み合いになったところで、酒保の掃除に来ていた「PI」の連中に引き離された。そしてビトウさんと二人、憲兵や衛兵詰所が入っている連隊総務の建物へ連れて行かれた。そこには連隊当直や営倉もある。有無を言わさずに、ビトウさんと僕は営倉の独房にそれぞれブチ込まれた・・・。明日の朝までソコに入っていろと言う事だった。人生初の営倉であった・・・。

 

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