B089 1989年8月7日(月)爆破人生の始まり

         連隊から高速道路を使って2時間半ぐらいのリヨンに近い正規軍の第4工兵連隊のある基地に行った。高速を走っている最中に、第2小隊でラッパ手の一等兵フラトーは小便を我慢出来なくなり自分の水筒を空にしてそれに用を足していた。蓋を閉めたやつを「コーヒーでも飲むか?」と渡された。僕は「現場」を見ていなかった。なんか水筒が温かい。隣に座っていたギルアールが「やめろ!やめろ!小便だ!」と言うので慌てて水筒を別のやつに投げ渡した。僕らのトラックのすぐ後ろには、若い女性が2人乗っている車が走っていたので、今度はフラトー、その水筒の中身をその女性たちの車に向かって撒き始めた!女性たちは兵隊がまたくだらない事を始めたと思いゲラゲラ笑って車のワイパーを動かし始めた・・・。こう言うふざけた事をする奴がこの時代の中隊には沢山いた。

 

基地の外れにある爆破訓練場に着いた。まず今日は何をやるかをフラダン中尉が説明した。こんな遠くまで来て何をするのかなぁと思っていたら、いつの間にか本物の爆薬が別のトラックに積んであった。

その後、爆破の時は必ず使う信管の上にヘルメットを乗せて爆発させた。「パン!」と乾いた音がしてヘルメットが10メーターぐらいの高さに飛ばされた。0,2グラムの爆薬しか入っていないのだが、指などは簡単に吹っ飛ぶぞ!とフラダン中尉が説明した。その後順番に軍曹から「ほらっ!」と1ポンド(約454グラム)のTNT(トリ・ニトロ・トルエン=爆薬)を投げ渡された。生まれて初めて触る爆薬だ。投げ渡された時はちょっとだけビビった・・・。

隣では導爆線を2メートルほど渡された。導爆線とは、結んだり巻き付けたり出来る直径5ミリ弱の線状になっている爆薬で、固形の爆薬を複数箇所で爆発させる時に使う。そうすれば信管は1つで済むからだ。導爆線が最初の爆薬の力を次の爆薬へと導き爆発させる。木の幹に巻きつければ、木を倒す事も出来る。使い方によってはこの「導爆線」は色々な用途に使う事が出来るので、除隊後もあちこちで仕事の時に世話になった。

プラスチック爆薬を見たのも今回が初めてだった。映画のように手で簡単に整形して壁にくっつくと言うものとは程遠い代物であった。とにかく硬いのだ。整形するには相当時間手で潰さなくてはならない。それから触った後は手がベトベトになるので、よく洗って落とさないとならない。その手で何か食べようものなら腹痛と下痢になる。何度も何度も石鹸で洗うのだけれど、中々キレイにはならないのであった。見た目はざらざらした砂糖菓子のようではあるのだが・・・。

 

200メートルほど離れた場所に行った。爆破訓練場の真ん中だ。導爆線を真ん中に一本長く伸ばした。僕らは左右に分かれて自分の爆薬にこれも自分の2メートル程の導爆線の片側を決まったやり方で爆薬に固く結びつけて、もう片側をさっき真ん中に引いた長い導爆線にこれも決まったやり方で結びつける。軍曹たちが一人一人を確認している。この訓練はすでに出発前、紐を使って繰り返し何度も練習したので、誰もマゴつかなかった。最後に一人選ばれて中心線の所の導爆線の一端に信管を付けるのだが、最初は電気信管ではなく導火線を使った。これも決められたやり方がありその通りにやる。中尉の指示で点火して200メートル戻り地面に伏せた。「ドンッ!」と大きな音がした。地面に伏せていたけれどあまり振動はなかった。これがのちの自分の専門の第一歩であった・・・。

 

そのあとは電気信管を使っての訓練もやった。よく映画などで見るケーブルを這わせて信管などを繋ぐアレである。ケーブルは這わせる前と後にちゃんとチェックする。当時も今もそれは変わりない。除隊後、アフリカ連合の兵士達を訓練したけれど、このケーブルチェックは毎朝の日課として義務付けた。いざ現場に到着して切断しているのを発見してしまったでは遅いのである。

 

夕食は正規軍の食堂でとった。中身は大してうちの連隊と変わらなかった。夕食後はここの酒保に行った。酒保に入る前に伍長から「Pas de bagarre ! パ・ドゥ・バガール!」(喧嘩はするなよ!)と何度も念を押された。僕たちは1時間ほど大人しく?飲んで部屋に戻った。売っている物の中身は僕らの連隊の酒保の方が少しはいいんじゃ無いかと思った。でも外人部隊の酒保が素晴らしいと言う訳では決っして無い。

 

 

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