B084 1989年7月21日(金)56年式テント

連隊長の交代式典だ。夏用のパレードの制服に身を固めた連隊が集まり連隊長の号令で一糸乱れず「気をつけ!」などをする様はいつ見ても壮観だった。食事が終わったのは13時を過ぎていた。下っ端はすぐさま戦闘服に着替えろと言われ、今し方までいた士官食堂の庭に張ってあるテントの解体だった。各小隊が入り乱れての解体作業だった。各小隊の伍長が色々と指揮をしている。第3小隊のナタリオ伍長が「おい!お前!これをあそこに持っていけ!」と言ったので「またかよ・・・」と小声で言ったつもりがナタリオ伍長に聞かれて「またとはなんだ!」と怒鳴られてすごい血相で睨まれた。1発くるのを覚悟したのだけれどナタリオ伍長も忙しくそれどころではなかったのか別の場所へ行ってしまった。この当時は「guitoune 56(ギトゥン56)」(56年式テント)と呼ばれる古いテントを使っていた。天幕はすでに年季が入って硬く、骨組みは全て鉄製だったので重くて仕方がなかった。それを何十張りも立てたり片付けたりするのであった。後年、テント・モデュレールという骨組みがアルミ製の軽量型が採用になった時はすでに下士官だったけれど、古株の間では今でもその時の「悪夢」を語って笑ったりする。

夕食後は第2中隊のタケシタ君とお喋りして過ごした。

 

1989年7月22日(土)

今日は連隊長が交代になったため休みという事だった。なので連隊内のプールに行ってみる事にした。前回は朝の訓練だったので3メートル15の深さまでは潜らなかったので今日はどんなものか潜ってみる事にした。一通り泳いで体をほぐし水に慣れた所で潜ってみた。2メートルぐらいまでは簡単に潜る事が出来たけれど、そこからが少しキツくなる。耳が痛くなって来たのですぐに上がった。何回かやるうちに慣れたけれど長くその深さにいる事は出来なかった。

フランス軍の装甲車は水陸両用なので装甲車の運転手や無線・機関銃手は、万が一装甲車が浸水・水没した場合のことを考えて小さい空気ボンベを使って潜水の資格を取らなければならないのだが、その為のこのような深さを持ったプールでの訓練が必要なのであった。

 

1989年7月23日(日)

第3小隊のアメリカ人のデイヴィッドソンが沢山ミリタリー関係の雑誌を貸してくれたので1日いっぱい眺めて過ごした。英語なのであまり理解は出来なかったけれど・・・。

夜はいつも通り中隊のバーへ行ってビールを飲んだ。

 

1989年7月24日(月)

新しい連隊長になっての初めての連隊朝礼だった。朝早くから武器庫へ行ってFA -MASを出して戦闘服にパレード用の赤い房の着いた肩用の飾りをつけてケピを被って集まった。隊列を組んで中隊歌を痛いながら所定の位置へ着いた。朝礼が終わると連隊で行進練習をするのだった。なんとも面倒くさい・・・。

午後は以前新兵訓練の時に参加した長期演習の時に少しだけ見た「移動浮橋」の訓練だった。これはMoyen Légère de Franchissement(MLF=軽量渡河装備)というのだが、一番重い部分で320キロもあり8人で運ぶ。それらの準備だった。明日実際に組み上げるという事だった。

MLF
Moyen Légère de Franchissement(MLF=軽量渡河装備)4/3

僕とドイツ人のウェンダー以外は小隊が変わってしまった。僕らは第1小隊、その他は第3小隊に配置になった。僕はそれと同時に第1小隊のままだったけれど部屋も変わった。小隊の伍長5人中3人も小隊をかわった。部屋のベール伍長と引率してくれたロレー伍長は管理小隊へ、これまた部屋のゴルディナ伍長は支援中隊へ配属変えがあった。中尉と軍曹達と折り合いが悪かったからだとドレゼが教えてくれた。小隊に残っているのはフランス人のセルヴァン伍長と僕の嫌いなスェーデン人のイヤなハンセン伍長の二人だけになった。まぁ、中尉はどうかわからないけれど、チビのドジェイ軍曹は口煩くてみんなから嫌われているので仕方がないか・・・。セルヴァン伍長は近い内に軍曹訓練コースに行くと言う話だ。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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