B074 1989年6月28日(水)配属先は葡萄畑の真ん中だった・・・。

4時半起床。顔を洗って髭を剃り、制服に着替えて朝食に向かった。

朝食後、人事の少佐の面接を受けて配属先が決まる。成績順に面接を受ける。7時半ごろから一人目が始まった。少佐の他に小隊長であるズカフェールド中尉も一緒だ。僕は何時だったか覚えていない。

第一希望の「第13準旅団」は現在募集人員が1名という事で、来年ぐらいに枠が出来たら行けると言われた。この時はそれを信じたのだが実際はそんなに甘い話はないと後で分かる事になるのはこの時は知らないので「はい」と答えるしかなかった。第二希望はどこかと聞かれたので、第6外人工兵連隊と答えた。地雷処理や爆破など行う連隊で、爆薬に興味があったのでそう言ったのだが、それで決まりになった。なんだかあっけなく決まった・・・。

アヴィニョンの近くにある連隊ということは新兵訓練の時に聞かされていた。この「近く」というのが曲者で、数年後には「Laudun」(ロダンと言う村!)と書き換えられた!アヴィニョンまで今乗っている車でも法定速度で40分はかかる。40キロぐらい離れているのだ。けれどもこの時はそんな事は知らない。なのでそれなりに嬉しく思っていた。

明日か明後日にはその「第6外人工兵連隊」に配属になる。これから先は本当に未知の世界だ。今まで読んだ外人部隊関連の本にも書いていなかったからだ。どうなる事か・・・。

 

全員が配属先が決まったようだ。何人かは除隊を申し出たようですぐに荷物を纏めていた。新兵訓練が始まる前から一緒だったポーランド人のアンドレスチャックは除隊する事にした様で、顔を合わせる事はなかった・・・。相方のソバージュは南フランスのニームにある第2外人歩兵連隊へ配属が決まったらしい。この時は喜んでいたが厳しさに付いて行けずに脱走したと同じ配属先になった連中から数年後に聞いた。

全員面接が終わり、外人部隊の最高司令官の将軍から外人部隊博物館の一室で訓示を受けた。そこには「カメロンの戦い」で戦死した「ダンジョー大尉」の木製の義手が大切に飾られている。外人部隊の象徴であった。外人部隊のモットーである「最後まで戦う」と言う言葉が出来たのは彼の率いた中隊のこのカメロンの戦いから来ているのだ。

 

午後にルアール伍長とすれ違ったら、酒保で買ったのであろう「レイバン」のサングランスをしていた。彼も今回の新兵訓練担当の伍長は終わりで一般の連隊に配属になるのだった。彼もジブチの「第13準旅団」を希望していたので早速サングラス購入となったのだった。しかし予想に反して、以前のフランス正規軍にいた時の記録やその類稀な運動能力が裏目に出てコルシカの「第2外人落下傘連隊」にほぼ選択なしで配属になってしまった・・・。

 

そのあとはまた自由だったのでゆっくりしていた。夜は「ビトウさん」と二人で「シンカイさん」のところに行った。「シンカイさん」は流石に日本人だけあって炊飯器を持っていた。それで炊いた「ご飯」をご馳走になったりしてとても愉快に過ごした。「キムラさん」は年期が違いすぎるし上級伍長のエリアは別らしく会う事は出来なかった。まぁ「キムラさん」としては何人もの日本人志願者の通訳をさせられているわけだし一々僕の様な人間を覚えているわけじゃないだろう。無事新兵訓練を終えることが出来たと報告したかったけれども仕方がない・・・。

 

 

読んでくれた人、ありがとう

 

コメントを残す