B071 「夏至」と「Mauvaises esprits」(不満タラタラ)

1989年6月24日(土)

 

今朝も5時15分に起こされ下士官の朝食の準備をさせられた。全くイライラする・・・。それが終わって夏服にアイロンをかけた。演習に出発する前に夏用の制服とケピは別にケースに入れて運んでいた。キャンプ場のシャワー室にはコンセントがあったのでそこから電源を引きアイロンをつないだ。パレードは昨日ではなく今日の夕方という事であった。カステルノダリーに移動するのは明日という話だ。昼も夜も明日の朝も下士官の食事の準備をさせられる。何でなのか分からなかったのでこの時は軍隊でよく使う「Mauvaises esprits」(モヴェイズ・エスプリ、悪い精神状態=不満たらたら)と言うやつで一杯だった。それに何のパレードなのか分からなかった。あとでソバージュが「フランスの夏至」のお祝いをこの週末街でやるからと言う事を苦労しながら僕やネイピエに説明してくれた。軍隊、それも鮮やかな白いケピの外人部隊が丁度キャンプ場に来ているからと言う事で、街の偉い人が外人部隊にパレードをして欲しいと頼んだからであった。それで僕等の第3中隊が参加する事になった・・・。

 

下士官の昼食準備は10時半だった。下士官達の食事が終わった。どう言う風の吹き回しなのかロサ・ファテラ上級軍曹が僕とソバージュの分も取って置いてくれたので昼食はレーションではなくちゃんとした物を食べる事が出来たし、何とワインも付いていた!ので、少しだけやる気が出た。朝から曇っていたけれど昼前から晴れていい天気になった。

 

4時半にパレード用の制服で集合がかかった。歩くと服装が崩れるので、青の腰帯はまだ巻いていなくベルトにかけたままだ。途中街の入り口で軍曹同士の喧嘩があった。見た目がちょっとショボい軍曹が何か文句を言っている様であった。そこへ僕等をオバーニュまで迎えに来たタヒチ人でガタイの良い軍曹が「黙れ!」と言って殴りかかった。体格の違いがモロに出て、そのショボい方の軍曹は服もメチャクチャに乱れてしまって、パレードができる状態ではなくなってしまった。中隊付き曹長に何かを言われ、自分のFA -MASを近くにいた奴に預けてふて腐れながらキャンプ場に戻って行った・・・。

20分ほど歩いて街に到着した。そして整列した。早く着き過ぎた様で2時間近く待たされた。改めて列を整えて行進を始めた。多くの街の人々が道路の両側にいて沢山の拍手を受けた。300メートルほどのパレードだったけれど、街の人々が喜んでくれていたのは分かったし、なにより整列して行進すると言う事は軍隊にとっての士気高揚になると何かで読んだ通り僕の士気には良かった様だった。

士官、下士官の他に各小隊から5人程選ばれて立派な市庁舎に案内された。大きい会議室で「Pot」(一杯、酒を飲む集まり)に招待されたのだ。市長の挨拶があってから乾杯になった。僕は銘柄の分からないビールを手に取った。ソバージュはやはりフランス人なのか「Ricard」の瓶を取り小さなグラスにちょっと入れた。色はウイスキーの様な感じだった。それに水を足して、何と!白く濁るでは無いか!それがパスティスとの初めての出会いであった。フランスの沢山ある食前酒の一つで、「Ricard」と「Pastis(パスティス)」、アニス酒で共に有名だ。フランス人なら知らない者はいない。僕にも飲んでみろとグラスを渡されたけれど、甘い匂いと共に何だかクスリ臭かった。ちょっと味見はしたものの「人生でもう2度と飲まなくていい物」とこの時は頭にインプットされたのだが、1年半もすると大好きな食前酒の一つになるのだから人生わからない。伍長の時はこればかり飲んでいた様な気がする。

僕はと言うと、ビールを飲みながら初めて見るおつまみが載った皿に近づきただ只管食べまくった・・・。

キャンプ場に戻ったのは22時を回っていた。急いで戦闘服に着替えろと命令が出た。今夜の夜のガードは僕ら第2分隊だからだった。運よく一番立ちだったのでそのまま起きていれば良かった。0時までガードについて食事して寝たのは夜中の1時を過ぎていた・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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