B069 カステルノダリーへ

午前中、昨夜の射撃の後はオイルを塗っただけのFA -MASの手入れ。そのほかの装具の手入れもした。
午後は洗濯などして過ごした。明日の夜カステルノダリーへ向けて出発するという事だ。家からの小包が待っているので早く戻りたいものだ。
夕方には連隊で集まっての「Pot」(一杯・酒を飲む集まり)だった。「演習お疲れ様」というわけだ。
バーベキューにビール、外人部隊は最高だ!(笑)

1989年6月20日(火)

完全な二日酔いだ・・・。何度もトイレを出入りして午前中はテントの解体作業だったけれど何も出来なかった・・・。
昼食も食べる事が出来ず夕方になってやっと頭痛がなくなった・・・。しかし暑い・・・。
今夜カステルノダリーへ向けて出発するのだ。速く普通のベッドで寝たいものだ。
今夜の出発が明日の朝出発に変更になったらしい。予定がコロコロ変わるので皆ボヤいている・・・。

1989年6月21日(水)

4時半起床。6時に出発予定。しかし6時になっても全然出発に気配がない・・・。6時半ごろやっと1台目が動き出した・・・。
夕方Dijonの南西にある「Autun」と言うところに着いた。そこの街にある軍の高等学校で式典があると言う事で、白いケピを被った外人部隊がいると式典が映えると言うので駆り出された・・・。
別の小隊の上級軍曹がロサ・ファテラ上級軍曹の事を親しげに「ロサ!」と呼んでいるのを見た。ロサ・ファテラ上級軍曹も仲の良い上級軍曹なのか親しそうに話している。あんなにニコニコしているロサ・ファテラ上級軍曹は初めて見た。

式典が終わりレーションの夕食をとり短い間だったけれどシャワーを浴びる事が出来た。今夜のレーションは今まで食べた事のない番号のやつで中々美味しかった。

1989年6月22日(木)

今朝も6時半〜7時ごろ出発した。幾つもの大きな街を通って、Murat(ミュラ)と言う街に入りそこの民間のキャンプ場にテントを張った。何台ものキャンピングカーが停まっていた。シャワー施設もあり中々良さそうな所だ。
しかし下士官の夕食当番の雑用をさせられて少し気分が悪かった。何故なら仮病を使って行軍などをサボっている輩がのうのうとしていたからだった。そいつらは全員フランス人だった。雑用は明日の朝もやらなくてはならず、とても気分が悪い・・・。落ち着け!

読んでくれた人、ありがとう

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