フランス外人部隊のクリスマス

今日はフランス外人部隊でのクリスマスについて話そうと思う。

外人部隊では年に3つほど大きなイベントがある。まず4月30日の「カメロン記念日」である。この日は世界中の作戦派遣地域であっても、シンプルな4ヶ月の海外派遣でも世界中で行われる。それから、7月14日のフランス革命記念日である。フランス外人部隊は、フランス陸軍の一部であるから、当然であろう。そして12月24から25にかけてのクリスマスである。この日は、僕は外人部隊18年の勤務のうち、第4外人連隊、第6外人工兵連隊、第4外人連隊、第5外人連隊、6外人工兵連隊と、それなりの数の連隊を移動したけれど、どこの連隊でもクリスマスは楽しい思い出ばかりであった。第4外人連隊の時は僕は伍長訓練の訓練生、軍曹訓練の訓練生、新兵訓練軍曹の軍曹としての3回のクリスマスを第4外人連隊で行った事があった・・・。まず、夕方前から各小隊の作った小隊バーで三々五々小隊だけではなく中隊の連中が集まってきて、ビールなどを飲み始める。第6外人工兵連隊の時の中隊の建物は、クリスマス用の飾り付けがあちこちにあり、昼食前の下士官の集まりでは、連隊最先人下士官からの、一番若い軍曹へのプレゼント贈呈があった。僕が兵士の頃のプレセントというと、酒保で売れ残っている外人部隊カラー(赤と緑、結構立派なタオル地)のバスローブであった・・・。みんなの感想はというと、「こんなの、誰か買うやついるのかよぉ」と言う者ばかりであった(笑)次の日の中隊隊舎のゴミ箱は、そのバスローブだらけであった(笑)。中には、大事にしまって置いて、後で切り刻んで武器掃除に使うウェスの代わりに使う猛者が結構いた。それには笑ってしまった。

伍長訓練時代は、僕は高校の頃バンドをやっていて、エレクトリック・ギターはそこそこ弾けるのだけれど(レッド・ツェッペリンなど。)、その時の伍長訓練軍曹は、キーボードをそこそこ弾けると勘違いしていたので、一緒にみんなの前でやれということになった。しかしその軍曹は、音楽の”コード”というのを知らず(A,G,CとかAmとかね。)、伍長訓練中隊の全員の前でひどい目にあったのであった。それもクリスマスの当日である。ただ、その時は、たまたまクリスマス直前の週末外出で、帰隊遅延(1時間20分帰隊遅延)をしてしまっていて、4日の簡易営巣の罰を食らっていたところ、みんなの前でギターを弾くということで、中隊付き曹長のおかげで、4日のところ、簡易営巣の罰1日だけで済んだという役得もあった。芸は身を助けるを地で行ったという事件があった(笑)。この事件のことは、この時期になるとよく想い出される。今となっては、笑い話で済んでいるけれど、当時は、伍長訓練を追い出されて自分の連隊に戻されるのか???とビビっていた。僕の他にもう1人同じ伍長訓練生がおり、同じ罰(帰隊遅延)で簡易営巣4日食らったやつがいた。ソルネアというやつで、南フランスにある第2外人歩兵連隊から来ているやつだった。

簡易営巣というのは、日中の課業は普通にやり、夕食はみんなより30分ぐらい早めに食べてから営巣で眠るというものであった。起床は4時半ごろだったと思う。食事はもちろん営巣内で、立ったままである。椅子など楽出来るものなど営巣ないには無い。人生初の営巣は、伍長訓練生とはいえ、申し訳程度の朝食をとって、日中は普通に訓練があり、それが終わると晩飯を30分ほど他人とは早めに摂り、営巣へ逆戻りで、営巣へ戻っても、部屋に戻って寝るなどということは出来なくて、消灯まで雑用をさせられる。だいたい僕とソルネアの2人は司令部のある建物の箒がけと雑巾がけであった。2回建ての建物で、連隊長室や連隊銀行とか色々な事務所が沢山入っている建物をたった2人での掃除だったけれど、ある日など、訓練でどうしようもなく疲れてしまって、階段に座り込んで眠ってしまった・・・。ソルネアは僕を見て「「オイカワの奴、よっぽど疲れているんだな。」と思ったらしくそのまま眠らせてくれた。その時以来彼を心から信頼するようになったのは言うまでも無い。フランス外人部隊の中で、そうそう信頼できる奴などいないけれど、彼は、その中の一人だ。

読んでくれた人、ありがとう。

 

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