B016 1989年2月9日(木) 〜 2月12日(日)   キムラさん

朝5時半に起きて朝食をとり、一日中食堂で働かされた。そうじゃ無い日は医務室で何かの検査のために待たされた。志願者の人数が50人以上になり待たされて終わっただけの日が何回かあった。

尿検査をまずやって、それから身長や体重を測った。視力検査もやった。それから医務の軍曹の面接がある。僕の番が来る直前に日本人らしい上級伍長がその軍曹のいる事務室に入って行った。日本でテレビ放映された「外人部隊」の特集では顔にモザイクがかかっていたが、一目でこの人が日本人上級伍長の「キムラさん」だとわかった。

少したってから日本語で「及川くん、入りなさい」と言われた。中に入って当然僕は立ったままだ。日本での病歴など質問された。「及川くんは目が悪いのかね?」と聞かれた。さらに「メガネはどうしたのかね?」と言われた。僕は目には問題は無かったので、「視力は1、5以上あります」と答えた。キムラさんは「君は視力検査の時にちゃんと見えるものを答えなかったようだけど・・・」と怪訝な顔をしていた。「あぁ、あの事か!」と思い当たるフシがあった。検査の時、早口のフランス語で検査をされたのでどう答えていいかわからず、そのせいで視力が悪いと記入されたのであった。

そのまま記入された結果は除隊まで変更されず、後に軍用車両の免許を取った時には備考の欄に「運転時のメガネ着用」という補足が入った。なので新兵訓練中に軍の支給品の不細工なメガネを受け取った。軍曹になって免許証を民間の免許証に書き換えた時もその備考欄の変更はなく、メガネ着用義務が残ったままであった。除隊する頃にはメガネをたまにかけるくらい目が悪くなっていたけれども特に不便を感じたことは無い。今はすっかりメガネの人になったけれど・・・。

医務の軍曹からの質問は1時間もかからずに終わった。事務的な事だけで、「キムラさん」とは個人的な話は一切しなかったのでちょっとガッカリした。終わると「キムラさん」はサッサと帰ってしまった。そして僕の方はまた雑用に戻された。

食堂の雑用か宿舎のすべての部屋の掃除が僕らの仕事だった。食堂では調理場も含めすべて掃き掃除をして雑巾をかける。皿も洗いジャガイモの皮も剥いた。そしてすべてのテーブルに皿、フォーク、ナイフ、グラスを同じ様にきちんと並べる。割合的には外国人が3分の2以上いた感じがしたが、不思議な事にお互い言葉が通じないにも関わらず何故かこれらの作業は滞りなく進む。そんな中に自分もいるのだと思うとなんだか変な気分であった。それが「外人部隊」であった。

              毎日何人かは、「容赦ない尋問を受ける」という事で皆が「ゲシュタポ」と呼んでいる人事部の所へ詳しい身辺調査のために送られた。何でも一人2時間や3時間の質問は当たり前だそうだ。ここでは経歴など、自分が申告した事に嘘が無いか何度も同じような質問をして、答えに違いがないか調べられる。犯罪者として手配がされていないかも調べられる。僕は日本では何も問題がなかったので大して気にもしていなかった。朝食の後の集合の時、名前を呼ばれて幾つかのグループに分かれて色々な雑用にまわされる。その日僕は早いうちに名前を呼ばれた。何人か揃ったところで人事部のある建物の4階に連れて行かれた。

                                          読んでくれた人、ありがとう。

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