B015 1989年2月8日(水)雑用とフランス語

ここでは朝5時半に起こされた。一般の部隊兵が朝食を摂る前に食堂へ行き、相変わらず腹の足しにならない

1個の小さいパン、バター、ジャムの朝食であった。パンのお代わりなどは出来ない。

僕らの内半分が食堂に残り朝食の後片付けや昼食の準備をさせられた。僕もその中の一人で、ここ食堂の雑用の責任者であろう上級伍長にワケのわからないフランス語で怒鳴られ、右往左往しながら雑用をこなした・・・。

「allez ! allez !」(やれ!やれ!)、「balai!」(箒)、「serpillère!」(雑巾)と毎日雑用の時に言われ続けているので最初に覚えたフランス語は「箒」と「雑巾」であった。

              食堂で汚い変な格好の連中を見たのもこの時だ。古い制服の上下に階級章もなくベージュのシャツを着て僕らと同じ時間に食事をとっていた。全員丸刈りであった。食べ終わると表に置いてあるでかいゴミ箱を運んだりしていた。

後で聞いた所によると、罰を食らって営倉に入っている連中という事であった。

「外人部隊」では営巣に入れられるチャンスは至る所にある。外出して期待遅延などで、遅れた時間によるけれど、常習犯だと厳重注意などを飛ばして一発で7日間の営巣だ。その他にも大事な装備品を無くしたり壊した時などだ。そんな連中は至る所に居た。

「外人部隊」は何処の基地でも酒をふんだんに飲める環境なのだが、酔っ払って仕事が出来ないとか色々と罰則がある。ただし酔っ払っていても言われた仕事をきちんとやっていれば酔っ払っているとは見なされない。まったくもって可笑しな所である。これもフランスだからか???

営倉行きの罰則は最大40日。もしそれ以上の罰を食らった奴、例えば40日の罰と14日の罰の場合、営倉54日になるのだが、40日の営倉で一旦出してもらって翌日すぐ14日の営倉生活に戻る。当時はそんな感じであった・・・。

              夜は宿舎の前の広場で全員整列して点呼があった。フランスの他の募集事務所から毎日何人かやってくるので人数は少しずつ増えていった。点呼が終わるとやっとシャワーを浴びる事が出来る。しかし、先に浴びないとお湯が無くなり水しか出なくなるので、急がないといけないという事を知った。このクソ寒い2月に水のシャワーだけは勘弁だ。

              ノジョン要塞で顔だけは知っていたイギリス人と仲良くなった。のちに彼と新兵訓練に一緒に行く事になり一番の中のいい友達になる。名前は「リスター」と言った。彼はイギリス軍の「近衛連隊」にいたという事で、箒を銃に見立てて「捧げ銃」などをやって見せてくれた。彼は僕の片言の英語を熱心に聞いてくれ、いろんな話をした。時には一緒になって笑った。

                                          読んでくれた人、ありがとう。

コメントを残す