B 249 連隊へ

    ある週末、金曜日、どうにか下士官訓練が終わった。成績は下から数えた方が早かったが、僕の後に5、6人いたので、どうやらビリにはならなかったようだ。みんな何かしら浮かれているように見えたけれど、自分もか???この3ヶ月余りの下士官訓練コースだったが、たくさんのことを学んだし、何より、たくさんの仲間に巡り会えたのは大きな財産であった。今回は下士官として自分の連隊の門をくぐる事となる。
    ここ、第4外人連隊での全ての訓練コースは土曜の朝終了と決まっているようで、各連隊から迎えのバスが来ていた。僕の連隊のバスは、隊舎の横に居た。背嚢、私物など入ったバッグなどを急いで積み込む。いよいよ連隊へ戻るのだ。制服の肩の金色に輝く山形2本線と黒ケピが軍曹になったという証で、鼻が高かったに違いない。同じ連隊で同じ部屋だったイタリア人のパスクァリ、ジブチ人のマハムードなどとバスに乗り込んだ。帰り道筋はよく見ていなかった。連隊に着いたのは夜で、もう薄暗かった。管理中隊にとりあえずの部屋が用意してあり、今中隊は4ヶ月のギアナ遠征で不在であったけれど、何人か留守番を任されていて、その中にビトウさんもいた。再会を喜んだけれど、僕はもう下士官で住むところも違う。とりあえず軽く挨拶をして別れた。それから、下士官クラブへ行こうとパスクァリがいうので、ピカピカの軍曹たちは、まだ電気がついている下士官クラブへ向かった。しかし、練兵場側の入り口の扉が開かない。裏側の入り口はその時は知らなかっただけで、後でわかるのだが、その晩下士官クラブへ入ることが出来ずビールにありつくことは出来なかった。が、それはそれ、管理中隊の建物に戻って事の顛末をビトウさんに話すと、すかさず自分の部屋へ戻るとビールを持って来てくれた。

    月曜日には連隊長に「軍曹」になって帰って来た旨を報告し、その後、先任下士官のところに行き同じようなことをした。そして、食堂、下士官クラブなどの責任者のところへ行って、下士官宿舎の個室の部屋の鍵を受け取った。まだ制服で移動だったので窮屈で仕方がなかったけれど、仕方がない。そうこうしている内に、連隊の各部署を回ることとなった。だが僕らだけで???と思っていたら、最古参軍曹のベッケ軍曹がやってきた。もう6年軍曹をやっているということだったし、その昔、僕の小隊の軍曹で、僕が伍長の頃、一緒に衛兵勤務に就いた事もあった。ヘビースモーカーのベッケ軍曹は、常に煙が周りを漂っているような人物であった。なので、フランス人で背の低いベッケ軍曹はお世辞にも運動万能には見えなかったけれど、連隊の下士官だけではなく士官にも顔が効くようであった。連隊のすべての部署に「挨拶」という顔見せが進んで行き、メカニックの事務所へ行った。そこの長は、コラン上級曹長で、体もでかいしフランス人で、少し怖かった。でも、それは自分がまだ兵士だった頃の話で、今、下士官として接すると、気さくな人であった。
「お前の勤続年数は?」と聞かれ、「2年11ヶ月であります、上級曹長殿!」と僕は答えた。上級曹長はすかさず「何?まだ3年行ってないのか???ってぇ事は、6年でシェフだな???」と言われた。しかしそれは通常の場合であり、僕はいい加減な勤務態度であったので(その割には楽しんでいた)その後7年もの長きに渡り軍曹をやることになった。

    中隊には下士官が一人残っていた。誰であろう、あのチビで足が早く、口うるさいドジェイ軍曹であった。今は上級軍曹に進級していた。「マジかよ!」と思ったけれど、今の僕の階級章は軍曹である。なんとか普通に会話できた。毎日の昼食は下士官食堂でとるのだが、その前には「儀式」があるとシェフ・ドジェイは教えてくれた。まず下士官クラブのバーへ入る。「気をつけ」の姿勢をとり「敬礼」して入る。それからバーにいる先輩下士官なりに挨拶をするというものだった。最初にいるのは大体先任下士官で、その周りには階級が上の古株の下士官たち、そこから段々と階級は低くなっていくのだけれど、一応知った顔もあった。コマンド訓練で僕の分隊長だったシュラバース軍曹などだ。今はお互い軍曹なので普通の会話ができる。そうやってバーのカウンター端まで回って全員に挨拶したところで初めて自分のビールが注文が出来るという事を覚えた。みんな食前酒の時間なので、結構な量の「酒」飲んでいる。大抵はビールで、中には「リカール」(パスティス、要はアニス酒)を飲んでいるものもいる。僕ら新米軍曹を率いているベッケ軍曹は、昔同じ小隊にいた時より面白そうな男であった。おまけに今日の飲み代は僕らが払うので彼の飲むペースは早かった(笑)だが、彼のおかげでこの「挨拶」まわりツアーは上手く行っているようだった。テーブルに着いてなんとワインまで飲んだ。昼酒は休暇以外ではほとんどした事が無かったけれど、この時は気分が高揚していたのか美味かったのは今でも覚えている。
                 読んでくれた人、ありがとう

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