下士官訓練での大きな山場が終わり、BDUから連隊に戻った。基地に帰ると後はフランス語の試験があった。しかしこれは、教官の一人、イギリス人であるメロー軍曹がフランス語のテキストを読み、それを書き取るというものであった。筆記能力が試されるのかな???ところが忘れていたことに、メロー軍曹はイギリス人であった。アクセントが酷いのだった。フランス語の「R」の発音など「L」と同じだし、とのかく発音が酷いものだったのだ。メロー軍曹がフランス語のテキストを読み始めた。僕は頭を抱えてしまった。何を言っているか理解するのに時間がかかった。どうにか終わったが、全部書き取ることは出来なかった。ドカルモ先任は何を考えているんだ???よりによってメロー軍曹とは???腹が立って仕方がなかったけれど、言われた試験をやるだけだ。しかしこれも万年か経つと納得するようになった。なぜなら、僕がいるところはフランス外人部隊なのだ。フランス語が共有言語として使われているけれど、兵士たちの国籍は130以上に上る。下士官にも外国人が沢山いる。その誰もが完璧なフランス語の発音が出来る訳では無い。上官の下士官もいる。そんな時の「あなたの発音、悪いですよ?」などとは決して言わない。僕だって完璧なフランス語を話す訳では無いけれど、相手の方は、僕が何を言っているか理解してくれようとしたし、中のいい同僚は「オイカワはこの事について言っているようだな?」と理解してくれた。フランス外人部隊はそういうところであった。なので、僕は大した語彙は持っていなかったけれど、とにかく色々言い回しを変えたりしてとにかく僕が言いたい事を理解してくれるよう頭を働かせた。話をする時は誰に対してもそのような調子であったので非常に疲れたものだったけれど、そのおかげでフランス語はすごく上達した。南フランスの訛りはあるが。
一度、パリに休暇で行った時、カフェに入ってバーテンダーに挨拶をした。そして世間話を始めると、たまらずバーテンダーが僕に聞いた。「お前、どこから来た?」というのだ。僕はアジア人だし、国籍を聞かれたのだと思い、「日本から来た!」と答えたけれど、「違う、違う、フランスではどこに住んでいるんだ???」と聞くではないか!僕は基地の場所を言った。そうしたらバーテンダーはやっと納得した顔をしてくれた。僕が「何かあるのか?」と聞いたら、「お前はフランス語上手いけれど、なんかアクセントに南フランスの訛りが入っているからさ。」と言われた。よく考えてみると、Très bien(トレ・ビアン)いう発音がトレ・ビエンに聞こえるらしい。その調子で僕のフランス語に磨きが掛かっていったけれど、アクセントの方も磨きが掛かって、どのフランス人にも言われた。「お前、訛っているなぁ!」と・・・。
試験週間も終わり、隊舎の掃除や装具の返納、武器掃除などに追われ始めた。そして試験結果が廊下に張り出され始めた。僕の成績は下から数えた方が早かったけれど、落とした科目がなんと0であった。これには僕は嬉しかった。外人部隊に志願して2年11ヶ月目、こんなに早く軍曹になる事ができるなんて・・・。それより、この3ヶ月余りに及ぶ下士官訓練コースを無事に終える事ができたのだ。自分でもよくやったと思うし、何より、仲間がいたから終える事ができたのだ!気がつくと1992年になっていた。その間、「今日はやたらクィーンの曲ばかり流れるなぁ・・・。」と思っていたら、クィーンのボーカルのフレディー・マーキュリーが亡くなったのを聞いたこともあったし、各連隊の面白おかしい話も沢山聞いた。色々な事も学んだ。
毎回下士官候補生による記念のプレートを作る事になっていて、それと一緒に記念写真を撮ることとなった。第4外人連隊のメカニックの同じ分隊だったコフマンが中心になって立派なプレートが出来た。僕らは制服に着替えて、第4外人連隊の練兵場の真ん中へ行って記念写真を撮った。写真のでかいパネルも持っていて、それをみるたび、下士官訓練コースを思い出すのであった・・・。
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