B 238 シェフ・ポーツェネム

   

   翌日は200メートルの射撃であった。射列は一回の射列が6人なので、だいぶ時間がかかりそうであった。だが慣れた物で、僕らは順序よく順番に射撃をした。いけなかったのは、ポーランド人のシェピンスキーが持ってきたウォッカのボトルであった。よせばいいものを陽の高いうちに3、4人で飲み始めた事だった。僕もその中に入っていてポーランド人のシェピンスキーが選んできた物だけあって飲み口が滑らかであった。3、4回僕のところにボトルが回って来た。飲みやすさも手伝ってか結構な量を飲んでしまって、射撃どころでは無くなった。酔っ払ってしまって射撃などどうでも良くなってしまってあらぬ方向に弾をぶちまけた。
この日はみんな出来栄えは良くなくて、この日はシェフ・ポーツェネムの怒鳴り声だけが響いていた様に思う。

   射撃場からの帰りはバスが待っていて僕らをBDUまで運んでくれた。夜は武器手入れだ。教室へ入りポンチョを机の上に広げる。そしてその上に分解したFA−MASを広げる。特に重要なボルト周り、銃口は念入りに。今日はどういう風の吹き回しか、ド・カルモ先任からすぐにオーケーが出たので銃にオイルを塗った。何かありそうだと皆訝ったが何もなく消灯時間が来た。こんなに武器手入れがあっさり終わったのは初めてであった。
   翌日から普段通り下士官に必要なことを教室なり屋外なりで学んだ。シェフ・ポーツェネムは規則に厳しく厳格であった。なので彼の話を聞いていれば失敗はしなさそうであった。確かに下士官になってから不自由しなかったのはシェフ・ポーツェネムのおかげであった。僕が上級軍曹の時にポーツェネム曹長としてうちの連隊へ配属になった。彼はすぐ上級曹長に進級した。ぼくも曹長に進級した。当時は下士官訓練の教官と生徒だったけれど、今はお互い上級下士官で、下士官クラブなどで会うと冗談を言い合う非常にいい間柄であった。彼には非常に目をかけて貰った。

               読んでくれた人、ありがとう

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