B 226 元の小隊に戻る

1991年7月12日(金)

去年連隊を出た時以来の全ての荷物を持って昼の電車でアヴィニョンへ向かう。アヴィニョンの駅には管理小隊の伍長となんとウベール軍曹がP4(ジープに代わってフランス軍に採用された、プジョー製の4輪駆動車、メルセデスのGクラス・ベース)で迎えに来ていた。1時間弱で連隊の正門を抜けた。懐かしい光景が目前に広がった。

中隊の建物に着いた。すぐに中隊副官のフラダイン大尉と面接した。その後、顔を知らない新兵に荷物運びを手伝ってもらって小隊のいる3階にのぼった。いたいた!小隊の仲間だ!マナンツァラ、マーク、ボードリー。8ヶ月ぶりだ。それにビトウさんもいた。ドレゼは伍長になっていた。僕が知らない新顔もいる。荷物の整理もそこそこにいろんな話をした。

今週末は48時間(金曜日夕方から月曜日の朝まで)の外出になっていたので8ヶ月ぶりにゆっくりした。

 

1991年7月15日(月)

早速日番伍長につけられた。その日、中隊長と面接した。この時、小隊長のルジュン中尉もいた。二人とも僕の胸を見ている。「お前は勲章は何も無いのか???」と言われた。中隊は湾岸戦争へ行って来たので、どんなに若い兵士でも湾岸戦争に行った連中は、最低でも4つは従軍記章など勲章をつけていた。僕の胸はのっぺらぼうだ。中隊長とルジュン中尉は何かボソボソ話し合っているようだった。

 

1991年7月17日(水)

中隊長の交代式があった。駐屯地のすぐそばにあるラスコー城の中庭であった。交代式の最初に名前を呼ばれた。F A -M A Sを胸の前に抱えたまま列外に出て中隊長の前へ行った。この時初めての勲章?を付けてもらった。「国防徽章」であった。これは、ある程度年数を重ねれば自動で貰える徽章であったので、特に嬉しくもなんとも無いやつだったけれど、まぁいいか・・・。

交代式が終わり食事になった。その時ビトウさんと新兵が喧嘩をして、相手の新兵は怪我をして頭から血を流しているようであった。出血がひどくすぐに病院へ運ばれた・・・。そしてビトウさんは営倉へ運ばれた・・・。

 

1991年7月18日(木)

小隊は勤務週間で空だった。僕は勤務なしだったのでゆっくりしていた。

 

1991年7月19日(金)

連隊長の交代式があった。マネット大佐、ちょっと太っていて人間味があり、いろいろと声も掛けてもらった事もあった。僕が新兵の頃着任したので、もう2年も経ってしまったのだ。その彼に代わってペテルシャイム大佐が連隊長に着任した。

夕方、ベルギー人のシコがA K47の銃剣を「これ、湾岸戦争のお土産だ!」と言って僕にくれた。僕がいない間に小隊に来た上等兵で、勤続6年という事だ。話をしたらなかなかいいやつだった。中隊のほとんどが新兵で、古株は脱走したり連隊が代わったりしていなくなっていた。

 

 

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