西アフリカ某国日記3 PPT

今回の仕事の内容はTrain The Trainer(通称TTT)というもので、アメリカから来るはずだった誰かが来られなくなり急遽僕が再び呼ばれた。フランスに戻って3日ぐらいか???アメリカの本部からメールが来て「もう一度西アフリカへ戻ってくれるか???」との事だった。「何???帰って来たばかりだぞ???」信じられなかった。帰りの飛行機に乗る前に連絡しろよ!と思った。同僚のルイジにメールで問いただすと、とにかく来いとの事だったので、とりあえずアメリカの方には「航空券を早くよこせ!」と連絡した。僕が行く西アフリカの国はフランス語を話すので、フランス語をしゃべらないアメリカ人が来てもなんの役にも立たないのだが・・・。出発は7月14日になった。フランスでは革命記念日で、パリで式典がある日だぞ???とも思ったが急いでTGVやホテルを予約した。

スーツケースはまだほとんどそのままだったので、荷造りは楽だった。だが、いつも使っているナイロン製の速乾のTシャツはすでにスーツケースから出して使っていたので、入れるのを忘れてしまった。なのでTシャツは2枚しかなかった。気がついたのは西アフリカに来てしまってからだったので後の祭りであった。現地でTシャツを2枚購入する羽目になってしまった。クリスチャン・ディオールのロゴが入ったパチモンであった。

 

講習は既にルイジが手配していたので僕はほとんどやる事が無かった。毎日教室へ行って生徒がどの様に授業をするか見て評価をするのが仕事だ。だが、何人かの生徒の授業は非常に退屈で寝ない様にするのが大変であった(笑)

 

授業ではほとんどの生徒がパワー・ポイント(フランスではPPTペー・ペー・テーと呼ばれる)を使っていたのだが、使い方を知らない連中が沢山いたのが問題だった。壁に映写して授業をするのだけれど、文字が小さすぎたり、テキストが多過ぎたりと、見ている僕は疲れる。まず第一に、PPTはそれ自体は授業の補助であってメインではない。写真などを使ってあくまでの自分の授業の補助であるという事をわかっていなかった。だが、PPTを作るのが一番になってしまい、授業の構成などは考えていない様だった。テキストをコピー・ペーストしてPPTを作って、それで授業をした気になっている。あくまでPPTは授業の「補助」であってPPTが授業をするわけではない。先生の説明の「補助」なのだ。写真なども小さすぎて見ていてよくわからない。文字の大きさや字体もよくない。それらを説明してようやくわかってくれた様だ。とにかくシンプルにしなければいけないのだ。

 

それらを毎日見ているだけなので、確かにルイジの言った通り僕が直接授業はしなくてよかったが、退屈で退屈でどうしようもなかった。あと1週間だ。ただ、出発にはPCR検査を予約しないといけなかった。首都まで戻ることになる。2時間半の道のりだ。それも1日で往復しなければならなかった。翌日は終了のセレモニーがあるということだ。それが終わるとまた首都に戻る。午後半ばに首都到着の予定で、空港へ行くのは夜8時ごろだ。それまでどこで何をするのかは知らない。空港の早く行っててもチェックインのカウンターが開かないのでラウンジにも行く事が出来なかった。

再びトルコのイスタンブールで乗り換えがある。フランスに到着は午後の18時ごろで、その時間はもう電車はない。また空港のホテルIbisで一泊だ。アパートに着くのは日曜日の昼過ぎの予定だ。早く帰りたいものだ・・・。

 

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